スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

これって弱いものいじめだと思う

2015年3月13日、ロンドン市内のカナルとテムズ川の規制が変わった。
カナルは2週間までの滞在期間と同じ場所に数ヶ月戻ってこれない、テムズ川は最大24時間の停滞時間と、ほとんどの場所が1時間以上停めてはいけないというルールになった。
テムズ川のコミュニティーやカナルのコミュニティーではボート住居者達が路頭に迷いだした。
ボート仲間達もついにテレビのインタビューに応じることになり、法律が変わる前日の全国版で放送された。彼らは規定の停滞場所はどこも高いしいっぱいなので、これからどこに行けばいいのかと訴えた。カナルや他のコミュニティーでも子供を抱えて本当に困っている様子がテレビに映し出されているのを、わたし達は胸が痛む思いで見ていた。
翌日からコミュニティーの場所にあるボートは全て動かさなければいけない。そうでなければ裁判に掛けられたり高額な罰金を請求されるのだ。
置きっ放しのわたし達のボートも動かさなければいけない。24時間しか同じ場所に停めれないので、旦那は毎日仕事が終わってからボートを動かしに行くことになった。
その間旦那やボート仲間達の一部がなんとか停滞場所がないものかと探し続けたが、人は住んではいけないがボートだけを停めておける場所が辛うじて見つかったと思ったら、法律が変わったと同時に場所代が 倍に跳ね上がっていた。
こうなったらもうお手上げだ。
そんな中、なんと旦那がソーシャルネットワークを通じて安い場所を見つけてきた。場所はボートの中に住んではいけないボート専用停滞所でテムズ川のど真ん中にあった。川の流れが速いとボートが危なっかしくユラユラと揺れるが、ちゃんと鎖で繋いで停めることができる。
ボートから陸に移動するときは、小さいゴムボートか何かが必要だが、毎日移動し続けて暮らすよりはマシだ。
旦那は場所の管理者に話を付けてすぐにそこを借りることになった。
旦那はすごく浮かれて、大張り切りでボートを移動しに出掛けた。
それが、全く予想も付かない事態に変わった。
ボート移動当日に管理者から断りの電話が掛かってきたのだった。
場所が見つかったと飛び跳ねるぐらい大喜びしていた旦那は、なぜ断られたのか分からず呆然として、酷く落胆して帰ってきた。
そんな仕打ちは旦那だけではなかった。
値段が上がってもいいからとにかく一定の場所に落ち着きたいと場所を決めた一人のボート仲間も、ボートを移動してきたその日に管理者からいきなり契約拒否されたのだと言う。
色々と調べてみるとどうやらわたし達コミュニティーにあったボートは全てブラックリストにされているらしい。
コミュニティーも追われ場所も借りれず、わたし達はどうしたらいいというのだ。
わたしはあまりにも酷い扱いに、テムズ川の管理機関やお役所に手紙を書いて停滞場所の管理者達にわたし達を他と同等に扱うように伝えて欲しいと訴えた。でも、待っても待っても返事はない。
同じ内容でメールをしても返事は無い。
しびれを切らして同じように停滞場所の契約を断られたボート仲間が電話をすると、お役所も管理機関も「知らない」とぶっきらぼうに応対するだけでなんだか様子が変だ。
その間旦那はそんなことに時間をとってられないとしつこく場所貸しを断ってきた管理者に電話をしていた。そして聞き出してきたことは、なんと、信じられないことにお役所やテムズ川の管理機関が法律が変わる前に「要注意ボート」と称してコミュニティーにあったボートのリストを停滞場所管理者たちに渡していたのだと言う。
それじゃあ、わたし達も含め、ボート仲間達はどこにも場所を借りることはできないではないか!そして、そんなブラックリストに載ってしまったボートを誰が買うというのか?
わたしは世の中が本当に怖くなった。これって完全に弱いものいじめだ。そしてお役所や管理機関はこんなことをして何の意味があるというのだろう?

この時から、旦那は場所を探すのを諦めた。旦那は毎日ボートを動かし続けなければいけないし、わたし達は親に会いに遠出すらすることもできない。
旦那はボートを売ることに決め、休みの日はペンキ塗りやら修理や修復に追われた。時には泊まり込みで作業をしたりした。
って言うか、誰が買ってくれるのだろう。ボートの値打ちも下がってしまっただろうし。
わたしと娘は旦那を見る回数が減ったので、なんだかこれがいつまで続くのか、ボートは売れるのかと、不安が募っていくだけの日々を過ごした。
家に住むことができても心配事が減らないわたし達家族だった。

わたし達を混乱させた2014年最後の月

2014年12月
わたし達家族にとって忘れられない月になった。

家に引っ越してまた改めて水や電気、トイレやヒーターが普通に使えるありがたさを実感して、幸せってこんなに些細なところにいっぱい存在しているんだと思わずにはいられなかった。
念願のお風呂に浸かれるようになったので、家族3人ともやけに早く帰宅したり、インターネットが使い放題になったので、始めの1、2ヶ月は冬ということも重なって、家族で取り憑かれたようにネットで映画を見たり音楽を聴いたりと、まるで長期休暇を取っているかのように引きこもって過ごしてしまった。
ある日の休日などは旦那がスマホ、娘がテレビにかじりついたままで、わたしはPCで日本のドラマを見まくるという1日を送ってしまったこともある。狭いボート生活では雨でも嵐でも無理やりわたしと一緒に外に出て遊ばなければならなかった娘は、よっぽど家生活が心地よいのか、意地でも外に出ようとしない日が続いた。そしてわたしもそれをいいことに怠けた数週間を送ってしまった。
何の変化もなくただ過ぎていっただけなのに、そうやって家族3人で過ごしたあの年の冬は本当に心地よく、平和で安らげる時間だった。

そんな平和な我が家の外では、色んなことが起きていた。わたし達のボートはまだ売りに出すには直すところが多すぎた。なのでコミュニティの場所にまだ置いたままだった。冬中いつコミュニティを追い出されるのかとハラハラしながら暮らしていたボート仲間の中で、人が住んでいないボートがいくつかお役所様に撤去された。持ち主が少しの間里帰りをしている間に自分のボートが突然なくなったので、その時点でホームレスになってしまった。
わたし達のボートも撤去されては困るので、ストーブがない小さなボートに住んでいる仲間に住んでもらうことにした。
彼が今までどんな暮らしをしていたか、わたしは今でも首をひねって考えてしまうのだが、彼は自分のボートにはないストーブやトイレ、シャワーやキッチンがわたし達のボートにあるので、とても喜んで住んでくれることになった。

12月に入るととりあえずイギリス人達はクリスマスが来るので浮かれる。
でもその年ばかりは、家に住むことができたわたし達ですら浮かれて過ごすことのできないニュースが舞い込んできた。
わたし達が窮地に陥っていた時に一番に助けてくれたNAが亡くなった。喉頭癌で60歳になる直前だった。
娘の誕生会の時にもNAはもちろん来てくれた。ブログではあえて書かなかったが、末期癌に侵されて弱っているのにAに支えられながらお祝いに来てくれた。
それでも大好きなお酒だけは嬉しそうに飲んでいて、子供達が遊んでいるのを満足そうに眺めていた。
そして帰り際娘に「今日がもしかしたら最後になるかもしれないなあ。」と言って娘の手に20ポンド札を握らせてAの車で帰って行った。
その後すぐに入院することになり、Aと彼の家族が頻繁に見舞うようになった。
旦那もWもAからNAの弱り具合や病状を聞いているのになぜだかお見舞いに行こうとしなかった。旦那はわたしが促しても落ち込むばかりで、NAの顔を見るのが辛くて会いに行けないと訳の分からないことを言い続けた。
わたしはどうしても家族揃って会いに行きたかったので 旦那を説得してやっとお見舞いに行けたのは12月に入ってからだった。
NAは思ったよりも元気そうで、孫と過ごすクリスマスを楽しみにしていた。これならまた何度か会いに来れそうだと安心した2日後に彼は帰らぬ人となった。
お見舞いもろくに行けなかった旦那が大泣きした。分かっていたことだがそれでもショックで、せめてクリスマスを彼に迎えて欲しかったと言った。
葬式は彼の家族に加え、たくさんのボート仲間や友人達が集まった。その後皆で彼の行きつけのパブに行き、NAを惜しんだ。
古いボート仲間達は、こうやって世代が変わっていくんだと言った。わたしも少しづつ変化していくボートコミュニティの状況を痛いほど感じた。

わたしと旦那はその日の帰りにNAを偲んで、彼がよく飲んでいたお酒や食べ物を買ってそれを夕食にすることにした。
NAはいなくなってしまった。7年前に初めて会った時のことや、ボートを動かすのを手伝ってくれたとき、おもむろにトウモロコシを食えと手渡してきた時の顔や、さりげなく野菜を持ってきてくれたときの照れ笑いとか、小さな忘れていたことをたくさん思い出した。
NAが亡くなったと聞いたときも葬式のときも涙が出なかったというか、ショックで泣けなかったくせに、トウモロコシを食べていたら急に込み上げてきて、ムシャムシャとキチガイみたいにトウモロコシにかぶりついて子供みたいにワンワン泣いた。
娘がビックリして一緒に泣いている。
「マミー、なんで?泣かないでー。」
ごめん、本当にごめん。
娘まで泣かせてしまうぐらい悲しくて悔しかった。
クリスマスまでもう少しだったのに。彼の大好きな最後のクリスマスを家族で過ごして欲しかった。彼の小さな孫にも最後の思い出を残して欲しかった。
わたしはありがとうもろくに言えず、弱っているNAの手さえ握ってあげれなかった。
次に会った時はもっと色んなことをしてあげたいと思っていたのに。

その夜、わたしと旦那と娘は3人で一つのベットにぴったりとよりそって寝た。
大切なボート仲間が一人逝ってしまった。ボートコミュニティーもバラバラになってきている。新しい住まいは快適だけど、もうボート仲間の笑ったり叫んだりする声は聞こえないのだ。
せめてわたし達だけでもしっかり手を繋いでいないと不安になるような夜だった。

平和な暮らしの中に良いことと悪いこと、悲しいことや寂しい想いが全部まとめてやって来てわたし達を混乱させた2014年最後の月。
月日が経てば忘れてしまうかもしれない思いかもしれないけど、今でもあの時のことを思い出すと、まだこの間のよう思い出せるのだ。
こうやってNAもずっとわたし達の記憶の中で笑っていてくれるように、わたしは時々彼のことを思い出す。

過去のNAの記事はこちらです。
捨てる神あれば拾う神あり
NAと二人きりの航海

皆さまにお礼とお詫び

2014年11月22日、わたし達は不動産屋の契約書にサインして晴れて陸生活者の一員になることができた。
なんと、お役所から連絡がきてからここまでたったの4日だったのだ。
家が見つからなくて苦労したときは精神的に疲れてしまうぐらいだったのに、あの時間は一体なんだったのだろうかと思うとなんだか腑に落ちない。
わたし達は契約書にサインした翌日にボートから新しい場所に荷物を運んだ。ボート生活7年間がなんだったのだろうと思うぐらい少ない荷物だった。すべてが一台の車に収まってしまったのだ。
その代わり捨てる物はたくさんあった。大事にとっておいた思い出の品や服、靴などが湿ったまま真っ黒にカビだらけになってたくさん出てきた。洗えば済むレベルではなかったので捨てるしかなかった。写真やアルバム、娘が赤ちゃんだったときに頂いた大事なカードや手紙。そんな思い出が詰まったものが湿気で濡れてくっついて、カビだらけになっていた。
わたしたちはこんな環境の中で暮らしていたのだ。
仕方なく処分しなければいけない物をかき集めてわたしは涙が止まらなかった。ボート生活にはもちろんたくさんの思い出があるけれど、もう二度とこんな生活はしたくないと思った。

わたし達がボートを離れたなんと翌日にお役所がまた警官達を引き連れてボート全てに警告書を貼りに来た。
春にはテムズ川もカナルも停滞期間の法律が確実に変わるので、すぐにボートを移動しろという内容だった。コミュニティの場所も正式にお役所の管理下になったので、もう移動しない訳にはいかなかった。
どうりでおかしいと思った。もともとわたし達のことなんてどうでもよかった適当なお役所が、わたし達に物件を提供するまでこんなに早いなんて、何か理由があったからしかないのだ。
そしてボート仲間達が感じていた嫌な予感は的中した。コミュニティは本当に近いうちになくなって、皆あてもなくテムズ川をさまよう日々を送らなければいけなくなるのだ。
状況が厳しくなるのはお役所も分かっていたので、とりあえず子供がいるボート生活者だけは助けることにしたのだろう。冬場の川の流れが早い危険な時期にボートを動かしながら生活して子供達に何かあって訴えられでもしたらお役所も大変だ。

わたし達家族は真冬突入寸前に家に住むことができた。でも、わたし達のボートはまだテムズ川に浮かんでいるのだ。
これからすぐ先、ボートは一体どうなるのだろう、仲間達は一体どこへ行くのだろうかと心配になった。




ブログをずっと見に来てくれてる皆さまへ
ボート生活を離れてから、皆さまにすぐにでもお知らせしたかったのですが、友人に相談したり意見をしてもらった結果、先を知ってしまったら楽しみがなくなってがっかりする人もいるだろうということで、家に引っ越せたことをお伝えしないままでした。
今日まで本当にたくさんの心温まるメッセージを頂いていて、ここまで心配してくれた皆さまにすごく、すごく感謝しています。そして、色々な酷いニュースや事件が多いこの時代に、まるで自分のことのように心配してくださった方々、いつもブログを楽しみにしてくれている皆さま、本当にありがとうございます。
そして今の今まで心配させてしまって、本当にごめんなさい。
本当はせめてコメントをいつもしてくれる方だけにでも今の状況を話したくて、毎回ブログを更新する度にもどかしい思いでいましたが、やっと気持ちが楽になりました。(と思いながら、もう一年以上経過してしまいましたが。。。)
家には引っ越せましたが、その後もなんだかんだとありました。なのでブログはもう少し続きます。
どうかもうしばらくお付き合い下さい。

いきなりやってきたチャンス

2014年11月中旬、PもBも戻らないまま季節は本格的な冬になろうとしていた。仲間達の人数は減ったが、静養していた双子の片割れも戻って来てボートコミュニティはなんとなく機能していた。
Pのパートナーは実家にいるらしく、時々彼らのボートに来ていたようだが、わたしが彼女を見ることはなかった。
お役所はテムズ川の法律が変わるので立ち退けと春から騒いでいたわりには、その年も何もないまま終わりそうだった。
コミュニティは以前のようにハッピー、パーティー!という状況ではなくなったので、双子達と旦那がこの年は静かなクリスマスと年越しになりそうだと話していた矢先に役所から信じられないような内容の電話が旦那にかかってきた。
わたし達が住む家が見つかったので、とりあえずすぐに役所まで来て欲しいとのことだった。

翌日旦那と娘と3人で役所に出向くと、前回の家探しのときに担当してくれたお兄さんがわたし達の顔を見て「まだ本当にボートに住んでいるのか!?」と驚いている様子だった。
彼はとにかく冬前にボート生活を抜け出した方がいいと話を始め、わたし達の収入などからおおざっぱに計算して、家賃や地方税は手伝ってはあげれないが、敷金だけなら援助できるのでとりあえずこの物件を決めてしまった方がいいと、物件のチラシを見せてくれた。
場所はとんでもなく好条件で中流家庭の多い品がいい地区の割には、家賃は援助なんていりませんというぐらいにリーズナブルだった。ハイロードに面したある商店の三階で、最寄駅まで歩いて15分ほどだ。
わたし達は兄さんに促されるまま、その足でその物件を見に行くことになった。
突然舞い込んできた好物件にわたし達は嬉しくてたまらず、帰り際担当のお兄さんに「早いクリスマスプレゼントをもらったよ。本当にありがとう。」と旦那が言うと、お兄さんはすごく嬉しそうに「仕事をしていた甲斐があったよ。」と満足そうに言った。

物件を見に行くと、不動産屋の担当のお姉さんが先に来ていた。わたし達は資料をもらい、中を見ると物件は生活保護者用の物件ではなく、不動産屋が普通に管理しているものだった。わたし達がお役所の手助けで物件を見にきているのにもかかわらず、不動産屋のお姉さんからは不気味なぐらいに手厚い扱いを受けた。
前はどこの不動産屋もお役所の保護を受けると言っただけで門前払いだったのに、今回はどうしたことだろう。
物件はお店がある建物の3階にあったので、部屋にたどり着くまでコンクリートの急な階段を登らなければいけなかった。不動産屋のお姉さんが「子供がいたら危ないわよね。」と言うが、いやいや、川沿いの方が滑って危ない。今まで何度ボートの乗り降りで娘を抱えたまま滑り落ちそうになったか。なので、こんな階段、まったく苦にもならない。
家はあまり手入れがされてない古い建物で、中に入るとカビ臭かったので今度は不動産屋のお姉さんがさりげなく窓を開けて「しばらく人が入ってなかったから湿気っぽいんだけど、住み始めたら落ち着くはず。」と言ったが、いやいや、ボート生活はもっと湿気がすごいし、うちのタンスなんか奥は服が湿ってカビだらけでとても着れない、と言うかとても怖くて見れない。
そして部屋は一般的には狭いのだろうが、ラウンジの他にベットルームが2つもあって、ボート暮らしのわたし達は広すぎてびっくりしてしまった。
娘は「ここがあたしのお家?あたしはミニーちゃんのベットがいいなあ。」ともうすでに自分の家気分だ。
わたし達はまるでアトラクションにでも来たみたいに大はしゃぎ。何に感動したかってお風呂がある。蛇口をひねると水がジャアジャアと出るのだ!
トイレも流すとジャアジャアと水が出る。電気も発電機無しで使えるのだ。そして、洗濯機があるではないか!まるで夢の国に来たようで、わたし達は小さいことでいちいち感動していた。はしゃぎ過ぎてよく覚えていないが、たぶん不動産屋のお姉さんはわたし達の様子を見てだいぶ困っていたに違いない。
わたし達はもう、このチャンスを逃すまいとすぐに契約しますと約束してその場を後にした。
後は不動産屋とお役所が話し合った結果を待つだけだった。

待ちに待ったチャンスがやってきたので、わたし達はボートに戻ってからも嬉しさと緊張感で震えが止まらない思いだった。ちょうど双子が外にいたので、旦那が冷めやらぬ興奮を彼らに話した。すると、双子の片割れが偶然にしてはおかしなことを言った。もう一組のボート住まいの家族にもお役所から連絡があり、いい物件があると勧められたのだと言う。いつも冷たいお役所がなぜいきなりこんなに親切になったのだろうか?
わたしも旦那も、そして双子達も、なんだか嫌な予感がした。

わたし達は嬉しい思いと不安な気持ちが入り混じるようなすっきりしない思いのままその夜を過ごした。
役所や法律、社会のシステムに踊らせれている自分達の立場が、なんだか少し悲しく思えた。

仲間達がバラバラになってしまった

娘の誕生会が終わってから数週間後のある朝だった。わたしはいつものように朝早く出勤する旦那を送り出して、今日一日の支度を始めた。何も変わらないいつもの朝だった。
突然何かをドンドンと叩きつける音と女の人の叫び声が聞こえてきた。朝食を食べていた娘が驚いてわたしに抱きついてくる。
叫び声はすぐそこだ。何をしているのか分からないが、叫び狂っている女は何かを壊そうとしているのか、ドンドンと戸を叩くたびにバリバリという木がきしむ音がする。
さすがのわたしも怖い。
窓からこっそり外をみると、女の人の叫び声の他は誰もいない。
思い切って外に出てみると後ろのBのボートのドアを女が「出て来い!殺してやる!」と喚きながら狂ったように蹴っている。Bはまだ23歳の若い女の人で、親に寝室が二つもあるナローボートを買ってもらって優雅に暮らしている。さっぱりした性格で人付き合いも良く、よくボートの上に座って仲間と話していたりギターを弾いていたりする。娘も彼女が外にいると手を振って喜ぶのだ。
女は何かの理由で激怒しながらBのドアを蹴り破ろうとしているらしいが、Bは中にいないようだった。
あの女の人、Bのボートのドアを壊す勢いだなあと思いながらよく見ると、わっ!なんと!!その女はPのパートナーではないか!?
ウソでしょー!?!?
わたしが立ちすくんでいると、向かいに住む双子の片割れが彼のボートから頭だけを出して小声でわたしに「中に入れ!」と合図して、「危ないので今は外に出るな」と助言した。
うう、そうなの?って言うか、そうかも。。。今は見ていないふりをして隠れていた方がいいのかも。。。
そう思って中に入った。
娘が「だれ?なにやってるの?」と聞いてきた。
言えない。。。娘には言えない。
娘はPのパートナーが大好きで信用している。Pのパートナーはわたしより5歳上だが成人した娘が2人いて、娘ぐらいの年の孫が3人もいる。15歳で始めの子供を出産したのだそうだ。彼女は見たくれは元ヤンキーだったのかな、という感じだが、仲良くなると面倒見もいいし優しい。わたしは彼女に数回娘の面倒を見てもらったり、一緒に子供たちを連れて近くの公園で遊ばせたりしていた。
彼女の孫たちはPの本当の孫ではないが、子供たちはPをおじいちゃんと呼んで慕っていたし、Pもその家族みんなを連れて旅行に行ったりして本当の家族のように接していた。
わたしはそんな2人をよく知っていたと思っていたので、Pのパートナーが半狂乱になって叫んでいるのが信じられなかった。
少ししてPのパートナーがドアを蹴る音が止んだので、窓からこっそりと外を覗いてみた。娘を学校に連れて行く時間も迫っているので、ただ中で隠れているわけにはいかない。
うわ!
わたしは外を見てゾッとした。
こ、怖い!もーマジで怖いよう!!
Pのパートナーは今度はナイフ、いやいや、出刃庖丁を持って歩いているではないか!
ひー!!しかも、「誰かあの女を隠してるんでしょう!出て来い!」と叫んでいる!
こ、来ないでー!
わたしは怖くて旦那に電話してしまった。こんなときに限って旦那、電話に出ない!と言うか、仕事中の旦那に電話したって何ができると言うのだ。
で、でもなんか怖いしどうしていいか分からない!
結局わたしはPのパートナーが少し遠くまで歩いて行った隙を見て娘を連れてボートから飛び出した。
娘を学校に送って恐る恐る戻ると、Pのパートナーの姿は消えていて、双子の片割れが缶ビール片手にボートのデッキに座っていた。わたしがPのパートナーのことを聞くと、「PがBと浮気した。」と絶対に信じられないことを言った。だってP、Bよりも20歳は年上で充分大人だし、パートナーとは20年近く一緒にいるのだ。そしてBもPのパートナーとは仲が良くて、おまけに彼女には彼氏がいた。Pの親友だ。これって完全に修羅場じゃん。。。。
わたしが驚いていると双子の片割れが言った。「金だよ。金。女は金持ちの男が好きなんだ。」
えー!そうなの?でもいくらなんでもちょっとは考えるよ。別に人の見た目をどうとか言えないが、Pはつるっ禿げの恰幅のいい、ヤクザみたいな風格だ。お金持ちが好きなら別に小さいボートコミュニティの世界で金持ちを探さなくったて、外の世界にもっとたくさんの選択があると思うんだけど。。。
なんだかよく分からないが、あれ、いつも接着剤でくっついたみたいに一緒にいる双子のもう片方が見えないなあ。彼は珍しく朝から出かけているのかと、わたしが片割れに聞くと、「ああ、あいつはちょっと体調を壊して姉の家に静養しに行ったよ。しばらく帰らないんじゃないかなあ。」と言った。
えー大丈夫なの?
わたしが心配していると、向こう側でボート仲間の男3、4人が怒鳴り合う声が聞こえてきた。見ると怒鳴り合うどころか殴り合いだ。
何なに!?なんで皆さんそんなに気性が荒いのだ?
わたしと双子の片割れが呆然としていると、殴り合っている男達の1人が勢いよくこちらに向かってやって来た。Bの彼氏ではないか!?
うわ!なんだか金づちを持っている!出刃庖丁の次は金づちか?
Bがいたら絶対にこいつか、Pのパートナーに殺されてるな。。。。
Bの彼氏は息を荒げながらわたしと双子の片割れにBはどこへ行ったのかと聞いてきた。
「し、知りません。朝から見てません。」と言うと、「あいつ、殺してやる!」と言ってどこかへ行ってしまった。
そこへ今度はボート仲間の一人の若者がベロンベロンに酔っ払ってやってきて、双子の片割れを見つけると崩れ落ちるように泣き出し、片割れは彼を連れてボートの中に入ってしまった。
一体みんなどうしてしまったのかとわたしは呆然とした。

午後になって旦那から電話があった。旦那はその日の朝にPと、お姉さんのところに静養に行っている双子の片割れから別々に電話があって、全ての事情をわたしよりも先に知っていた。そしてわたしに、皆気が立っているので絶対に余計なことは言わず、できるだけ誰にも関わるなと前置きして、びっくりしていたわたしが更にひっくり返るぐらい仰天してしまうようなことを言った。
Bはなんと、ボート仲間達数人の男達と関係があったのだと言う。静養中の双子の片割れもその中の一人で、彼も含め全ての男達がBが自分に気があるのだと思い込んでいた矢先にBとPの関係を知って激怒したり落ち込んだりしているのだと言う。
そして身の危険を感じたPは、Bにしばらく実家で隠れているようにと指示して、自分も親戚の家にしばらく身を隠すことにしたのだそうだ。
たぶん、Pのパートナーは今頃、Pの居そうなところを血眼になって探しているだろう。幸いBの彼氏は(ってことはもう彼氏ではないのか?)Bの実家がどこなのか知らない。
って言うか、双子の片割れもいつもワイルドではちゃめちゃなくせに、こんなことで落ち込んで静養しに行くとは。。。。

その週はあれよあれよと言う間にボート仲間達の結束が崩れていった。嫌気がさしてコミュニティから去って行ったボートも何隻か出てきて、女性陣は皆不機嫌だし、男達は荒れていた。
旦那はPとよく連絡を取っていて、Pが彼のボートのことで心配なことなどを旦那にお願いしたりしているうちに、旦那はスパイだと言う人まで出てきたりと、余計なとばっちりが回ってきたので、いい加減旦那も愛想を尽かしてしまっていた。

2014年、もう少しで10月も後半に入ろうとしていた。
いつもは冬に向けてボート仲間達皆で巻きを割ったり水を確保したりと助け合うのに、その年はとても静かで、皆自分たちでことを済ませているようだった。
あんなに家族みたいに仲が良かったボート仲間達がバラバラになってしまった。
長いこと守り続けてきたボートコミュニティの結束を壊してしまったのは、お役所でもなく地域住民でもない、ボート仲間達自らだった。
プロフィール

スカイ

Author:スカイ
イギリスで旦那と娘3人でボート暮らしをしていた生い立ちを綴っています。
家賃も地方税も無い自由な生活を選んだはずが、なかなか大変なボート暮らし。大好きなお風呂にゆっくりと浸かることができる生活を毎日のように夢見て、早くボート生活から抜け出したいと思いながら結局7年間を費やしてしまいました。
めちゃくちゃなボート仲間達との暮らしも今はいい思い出です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
フリーエリア
にほんブログ村 家族ブログ 貧乏家族へ
にほんブログ村 こんな貧乏家族も にほんブログ村 子育てブログへ
にほんブログ村 色々な子育て満載
広告
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。