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ただ一人、取材に応じた人物とは?

しつこい取材陣がウロウロとしている時、たった1人だけ取材に応じたボート仲間がいた。
それはW。
Wはもうコミュニティにはいないが、釣り用ボートで釣りをしながらテムズ川を行ったり来たりしていた。
たまたまコミュニティに立ち寄ったときに取材者に捕まり、快く?取材に応じたのだった。

Wがロンドン版のニュースに出た時、それをテレビで見たわたし達ボート仲間は、みんなで笑った。
まず先に地域住民達が数人ボート住民達の文句を言い、そのあとWが「ボート住民達を良く知る一人で、長いことテムズ川で釣りのビジネスをしている。」とプロフェッショナルに紹介され、かっこ良く釣りなんかして見せて「彼らも彼らなりに苦労してるんだ。あそこにボートを停めれなくなったら、もうテムズ川の真ん中に碇を下すしかないだろうなあ。」と、いいんだか悪いんだかあまりわからないコメントをした。
普段のWを知ってるだけに、あまりにもかっこつけすぎて面白いのでわたしはケータイのアプリに保存しておいてある。
(ブログを見ているみなさんにお見せしたいのに、どうやってコピーしてブログに貼り付けるのか、わたしの知識ではさっぱり分からないし、テレビ局の動画を勝手にアップしていいものかも分からないので、いつか誰かに見せれたらと、取っておくことにします。)
とにかく、Wが何か言ってくれても状況は変わらないので、わたし達ボート仲間達は引き続き取材を拒否し続けた。
旦那は親友のWがテレビに出て嬉しかったらしく、動画を色んな人に見せて自慢していた。
Wもなんだか誇らしげだった。
そうしているうちに、季節は夏に変わり、わたし達は静かな夏を迎えようとしていた。
と、言いたいが、ボート仲間達がコミュニティ最後の夏になるだろうというときに、黙っておとなしく貴重な夏をやり過ごすかと思ったら大間違い。
また何か騒ぎが起きそうな気配だった。

次回に続きます。



ブログをいつも見てくれてる皆さま。
今年はこれが最後のブログになります。
本当は年内には現在までの状況にたどり着ける目標だったのに、なかなか前に進めませんでした。と言うことで、また来年もがんばってブログを更新していくので、よろしくお願いいたします。

今年もまた色んなことがあった年でした。世の中はいいこともあったけれど、辛い出来事や悲しいニュースが多かったような気がします。
一人一人が思いやりながら生きていたら、起きることのなかった出来事などが多かった気がしましたが、皆さんはどう思いましたか?
そして皆さんにとってこの年はどんな年だったでしょうか。
いい年だったと満足していたら嬉しいです。
来年も皆さんにとって、充実した素晴らしい年であるように心から祈っています。

それでは、皆さん良いお年をお迎えください。

スカイ
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取材が怖くて外に出れない日々

ブログを見にきてくれてる皆さま、楽しいクリスマスを過ごしたでしょうか?
今年もこの月はバタバタと忙しかったのですが、おかげさまで旦那のお父さんのところで、旦那兄弟、家族で平和なクリスマスを過ごすことができました。
娘はサンタが来てくれて、いとこ達とも遊べ、楽しいクリスマスを過ごしたようです。
明日にはロンドンに帰る予定です。
今年も残り少し。あと一回は更新したいので、もう少しお付き合い下さい。

では、ブログの続きです。


車の事故にあってから数週間後、保険金が下りてきた。車が廃車になったので、その車の購入額分が下りてきた。
思ったよりも多くお金が入ってきたので旦那はびっくりして保険会社に確認の電話を入れたほどだった。
その保険金で念願のボートのローン返済を終わらせることができた。その上、小さな中古の車まで買うことができた。
なんだか今まで辛いことを乗り切ってきた甲斐があった。
ローンさえ返済してしまえば貯金ができる。これでやっとボート生活脱出の日も夢ではなくなった。
あと数ヶ月貯金すれば敷金など引っ越し代がたまる。冬前には引っ越すことができるかもしれない。
そんなときに、お役所がまた警告書を各ボートに貼って回った。国がロンドンの全運河とテムズ川の停滞期間の統一に同意したので、近いうちに法律が変わり、コミュニティの場所も役所の管理下になることが決まったというものだった。
ボート仲間達は皆これからのことが心配になった。
停滞場所はなかなかみつからないうえに、高い。今でもギリギリの生活なのに場所代にライセンス、地方税などを払っていたら、もう生きて行けない。
わたし達も同じだった。ローンを払い終わって、やっと引っ越しに向けて 貯金を始めようというところなのだ。せめてあと4ヶ月はボート暮らしをする必要があった。
それに娘の学校が決まったばかりなのに、これから一体どこに行けと言うのだ。
地域の新聞は「地域住民の勝利」と題して、景色を乱すボートジプシー達を自分たちの土地から追い出す日も近い、などと書き立てた。
ロンドン中心部やその周辺でもわたし達のように同じ場所に居座ってコミュニティになっているボート生活者がたくさんいて、その全ての場所を規制することになり、このニュースは地域だけではなく、ロンドンと全国版のニュースで報道された。
わたしはテレビやネットで初めてわたし達のように子供連れでボート暮らしをしている人達が意外に多いということを知った。
これまで平和に運営されていたボート生活者のソーシャルネットワークには色々な情報や意見が溢れ、会員数も一気に増えた。
わたし達のコミュニティにも毎日のように取材を要求してくる人や、カメラマンなどが出没しだした。その度にボート仲間達はボートにこもってしまう。下手に取材に応じて、またありもしないようなことを書かれたり、テレビに出てしまうことを避けるためだ。
わたしは娘が学校に入学する前に問題を起こしたくなかった。それでなくても、イギリス人の中で外国人のわたしは目立つのだから。
わたしは外に出るのがだんだん怖くなってきていた。
ボートで子育てをしているのがよっぽど気にかかるのか、娘を連れて少しでも外に出るたびに取材者に捕まったり、待ち伏せされたりして、酷いときは若い女性のジャーナリストが、自分も子供がいるから気持ちが分かる、辛い思いをしているでしょう、などと言いながら同情作戦で付きまとってきたりした。
あまりにも彼女がしつこいのでわたしがうんざりしていると、旦那が「彼女は本当に力になってあげたいと思っているかもしれないし、少しぐらい話をしてもいいんじゃないか?」と言うので、撮影禁止での取材ならと承諾したら、話しがいつの間にかわたし達の生活をドキュメンタリーで放送したいという展開になり、旦那が慌ててそれを阻止するはめになった。
そして同時期、ブログをしているせいもあってか、日本からも取材の依頼が来たりして、わたしは情報という全ての分野が本当に怖くなった。
ドキュメンタリーなんかでのんきにわたし達の生活を紹介するほどの余裕もなかったし、娘がボートで暮らしているということで、学校でイヤな思いをすることがあるかもしれないと酷く心配した。
それほどわたし達はテレビでも新聞でも悪者、邪魔者扱いされていたのだ。
取材陣から隠れて暮らしているのはわたしだけではなかった。他のボート仲間達もテレビや新聞の取材者が現れるたびにボートに引きこもった。
テレビや新聞に出て自分たちの意見を主張したとしても、法律はボート住民達に不利なように変わるのだから。わたしがメディアに出れば、状況をもっと煽ってしまうことになる。

ボート仲間達が楽しみにしている夏がもうそこまで来ていた。
いつもなら仲間達が川沿いで寛いだり、バーベキューをしたりするのに、外にはほとんど誰も出なくなってしまった。下手に外に出たらすぐに写真を撮られてしまうのだから。
わたし達がおとなしくしているのをいいことに、隠し撮りした写真などが新聞に載せられ、終いにはわたし達のボート「ダイアモンド」がまるでコミュニティの中心であるかのようにデカデカと新聞に載り、まだしつこく居座っているなどと書かれた。
しかも、ちょうど旦那がゴミを捨てに行こうとゴミ袋をボートの外に置き、一瞬ボートの中に入った瞬間を撮られたらしく、新聞には「ゴミを外に置きっぱなしにして自然を乱す行為をしている」などとまで書かれた。
もお、これじゃあボートの価値も下がってボート売れないんじゃあ、とわたし達は心配した。

ボート仲間のうちの一組のカップルがお役所宛に抗議の手紙を書いた。
彼らは飲食店で仕事をしていて、世の中には色々な仕事があり、全ての人達が高収入を得ているわけではない。それなのに世の中は低収入者達が住み辛いシステムになっているし、今自分たちのがこの場所を追われたら、場所代も家賃も高くて暮らしていけない。法律を変える前にせめて安いコストで暮らせるような停滞場所をもう少し増やして欲しい、という内容だった。
これを書くために彼らは試行錯誤し、法律の知識がある仲間に相談したり、仲間達の意見を取り入れたりと時間をかけた。わたしもその手紙を見せてもらい彼らに意見を求められたが、いやいや、内容は完璧で、わたしが意見する隙間はひとつもなかった。
ボート仲間達はこの手紙に少しの望みを託した。
手紙は読まれたのか破棄されたのかはわからないが、お役所からは何の返事も来なかった。
わたし達は皆、努力することをやめた。これからどうなるか誰もわからなかったし、何もできなかった。
そして、法律が完全に変わってしまうまで誰もコミュニティの場所を動こうとはしなかった。

旦那は実は魔法使いだった?

娘の学校が決まらないので、わたしは今度は役所の教育課にメールをだしたり、入学待ちの学校に連絡して順番がまわり次第連絡下さいと伝えたり、試行錯誤、できることはほとんどやり、結構なストレスを抱えていた。

それなのに、まさかの!
旦那が娘の入学を決めて来たのだ。

もともとその学校、徒歩10分先にあり、ほとんど毎日のように通りかかるので旦那も知っていたし、わたしがその学校には申し込んでいないことも彼は知っていた。
わたしの中では縁がない学校だと勝手に思っていたので、旦那が娘を連れて散歩中にふらっと立ち寄り、事情を話して即入学を決めて来たときはボートごとひっくり返るかと思うぐらい驚いた。
旦那、何か魔法でも使ったんだろうか??
きっとそうに違いない!わたしに隠れて、旦那は本当は魔法使いだったんだ!
と、わたしは本気で勘ぐった。

たった10分先の学校にわたしはなぜ申し込まなかったかと言うと、そこは教会に隣接したクリスチャン学校だったのだ。
学校のホームページを見ると、入学の条件はクリスチャンで定期的に教会に通っていることと記載されてあるし、わたし達、教会に通うどころか、中に入ったこともないのだ。
しかも、あるママ友が言っていたことも気になっていた。
彼女曰く、学校のレベルが低すぎて問題外だし、親の質も生活保護者っぽくてあまり良くないので、対象外、見学にも行こうとは思わないのだそうだ。
でも、まあ、今のわたし達にはそんなことはどうでも良かった。娘が学校に入れないことの方が心配だ。
旦那が言うには、教会にこそ行かないが自分はクリスチャンだし、とりあえず聞いてみようと受け付けに話すとすぐに校長先生がやって来て、幼稚園クラスに空きがあるし、どうぞどうぞと快く受け入れてくれたらしいのだ。
って言うか、そんな簡単に?
じゃあ、申し込みのときから学校見学したりメール送りまくったり、電話で嫌な思いなどしていたわたしの苦労はなんだったのだ?
なんか、あたしって頑張ってバカをみるタイプ?

さっそくわたしは翌日娘を連れて必要な入学手続きの書類を持参して学校まで出向いた。
髪がボサボサのおばさんが笑顔で迎えてくれたと思ったら、それは校長先生だった。
住所はメールボックスで、本当はその辺りでボートで暮らしているのだが、それでも娘は学校に入れてもらえるのかとわたしが聞くと、彼女は「そんなことは重要じゃないわよ。クラスに空きがあるんだから問題ないのよ。」と気さくに言った。
なんだかこの学校、気が楽だ。
そして校長先生は「せっかく来たんだから、校舎を見学していかない?」と言ってくれた。
校内は外見よりも広くて、何よりも校庭や庭が大きく、子供達のミニ農園があったりと自然が多かった。子供達もとにかく明るくて元気だ。
今まで見学に行った学校は、生徒達が訪問者慣れしてるのか、知らない大人達が見学していても気にもしていないようだったが、この学校の子供達は違う。「ハロー!」と手を振ってきたり、「その子、この学校にはいるのー?」と話しかけて来たりする。終いにはフェンスによじ登って子供達が「ハロー、ハロー!」と言いながら喜んでいる。
なんか、子供がいっぱいフェンスに張り付いてるなあ。と思いながら、わたしは校長先生の説明を聞いていたのだった。
娘は恥ずかしそうにわたしの後ろに引っ付いていたが、少しすると本棚の本を引っ張り出してきて本を見たりして、なんだか寛いでいるようだった。
わたしは娘の学校がここに決まって、まるで運命の神様が導いてくれたんじゃないかと思うぐらいに感動して嬉しかった。
この学校のどこがレベルが低くて、質が良くないのだろう?成績の良し悪しは分からないけれど、子供達が楽しく生き生きと学校生活を送ることこそが何よりも大事なことなんじゃないんだろうか。
わたしはたった一人のママ友の意見を鵜呑みにして、この素晴らしい学校を勝手に対象外にしてしまっていた自分を本当にバカだと思い、そんな自分を恥ずかしいと思った。しかもその学校は、ボートコミュニティのほんの10分先なのだ。

帰り際、娘が言った。「またあの学校に遊びに行きたい。」
いやいや、遊びに行きたいじゃなくて、9月になったら毎日あの学校に行けるんだよ。
お友達をいっぱい作って、自然にいっぱい触れて、大好きな本をいっぱい読んで、大好きな歌を、これからは一人じゃなくってお友達と一緒に歌えるんだよ。
良かったね。
学校が決まって本当に良かったね。

わたしは娘の入学を断ってくれた他の学校にさえ感謝した。
それからもちろん、魔法使いの旦那にも感謝した。

娘の学校が決まらない

2014年5月、いくつかの学校から幼稚園クラス入学受付結果のお知らせが来た。前もって何校かに申し込み用紙を提出していたが、いくつかは定員オーバーで入学できず、ある学校は待ち人数130番目ぐらいだった。娘と同じ学年になる子供がこの地区に一体何人いるのだろう。。。。
そして何校かからは通知が来なかった。
数人のママ友に聞いてみると、みんな近くの学校が決まって、通知が来なかった学校は無いと言う。
ふむふむ、じゃあ、いくつかの学校はわたしの申し込み用紙を見落としたのか?
仕方ないのでメールで問い合わせをした。
わたし、直接行くのも電話するのも苦手。。。なので事は出来るだけメールで済ませたい。この国はメールだと結構な確率で無視されることが多いのだが、後で何か問題が起きたときにメールだと証拠が残るので、それも便利だ。

ところで娘の学校、前にも話したが、小学校1年生の前に準備クラスとしてその歳に5歳になる子供達が入るレセプションと言うクラスがある。入学はレセプションからが義務教育の始まりだが、この歳に娘が入ろうとしている幼稚園クラスは義務ではない。ほとんどの学校が1日3時間で制服も着なくていい。
なので、そんなに焦る必要もないのだが、貧乏生活のわたし達にはやっと来た保育園脱出の時期なのだ。
今までは、わたしが仕事の日は娘を保育園に預けていて、1日の保育料がわたしの日給を実は簡単に超えていた。
ではなぜ働くのかと言うと、出産後あまりにもブランクが長いと仕事がなくなってしまうからだ。しかもこれは仕事や会社によるかもしれないが、産休手当をもらったら最低でも1年は仕事に戻らなければいけないという決まりもあった。
とりあえず娘が学校に入るまでは週に1、2回でもいいので働いておいて、その後に働く日数を増やしていけばいいと考えていた。
なので学校の幼稚園クラスはわたし達にとって必須だし、その後の午後の有料だが格安の保育クラスに娘を預けたら、家計は断然楽になるのだ。

数日後、ひとつの学校から電話が掛かって来た。その学校の責任者だと言う女の人は、調べたら申し込み用紙の住所は人が住んでいる住所じゃないので受け付けられないと言う。
わたし達は住所の無いボート暮らし、なので登録用の住所はメールボックス(私書箱)のを書いておいた。それだと学区外、またはメールボックスだと言われるのは分かっていたので、参考欄にボート暮らしだということと、だいたいのボートの停滞場所の詳細も書いておいた。なのでそのことを伝えると責任者だと言う人は唐突に「あなたどこの国の人?地方税は払ってるの?」と言うではないか。
わたし、きゅうに関係のない話題を振られてなぜか動揺。
「あ、あう、あわわ。。。」
何を言ってるんだ、わたしは宇宙人か。
質問に答えられないままでいると、責任者さんは言った。
「住所がなくて税金も払ってなくて、どう言うつもりでここに申し込みをしたの?」
どう言うつもりって、娘を学校に入れるつもりです。。。
なんか、この責任者の人、怒ってるみたいだけど、何か勘違いしてるのかなあ。。。
そう思ってわたしは言った。
「ボートやキャンプカーなどで移動して特定の住所がない家族の子供は基本的にどこの学校に申し込んでもいいことになってるって、お役所から聞いてあるんですけど。。。」
実は申し込みの前に旦那がお役所の教育課に連絡して、自分たちはどこの学校に申し込んだらいいのか確認していたのだ。そのことを責任者さんに言うと、なんだかもっと彼女を怒らせたようだった。
「あなた達はジプシーなの?どこの学校でもいいなんて聞いたこともないわ!役所に確認してそれを証明できるものを提出して下さい!」
あれ、電話が切れちゃった。。。責任者さん、こっちの話も聞かないで勝手に切っちゃったよ。。。。
横で娘は「誰から電話?」と無邪気にしている。
なんだか、まったく関係のない娘が蔑ろにされたみたいで、親として悲しい。。。。
それから15分ほどして、今度はお役所から電話がかかってきた。そして、わたしの力が抜けるようなことを言った。
「子供を連れた外国人が違法滞在しているらしいと、報告があったので、確認のため連絡しました。」
えー!?何それ?
もしかして、あの学校の責任者、お役所に通報したの?
わたしが聞くと、お役所さんは詳細は言えないと言うので、さっき学校の責任者と話した全てのことを1から話した。
するとお役所のお姉さん「あなた達のボートって、あの水門の前の?」と、わたし達の事情を知っている様子。
そりゃあそうだ。わたし達、新聞載って、地域住民に文句言われ、お役所に立ち退けと警告され、結構有名人になっちゃったし、お役所さんの頭痛の種だもんねえ。
お役所のお姉さんは「そんなことなら、いいのよ。」と安心したように電話を切ろうとした。
いやー、ちょっと待った!
こっちは全然良くない!
住所がはっきりしていないわたし達のような家族はどこの学校に申し込んでもいいって言われたので、それを証明できるような手紙って書いてもらえるのかと慌てて聞くと、役所の人は自分は管轄外なので教育課に連絡して下さいと言った。
なんだかなあ。
わたしは相当疲れたので、旦那に電話してもらうことにした。仕事中の旦那に電話して、無理やり教育課に電話するようにお願いした。
15分後、今度は旦那が激怒しながら電話をかけてきた。
なんでも教育課の人はそんな話を聞いたことはあるが、本当かどうかわからないので証明するものは提出できないと言い、旦那が前に電話したときは、「どこの学校も申し込める」と聞いたと言うと、そんな話は誰も知らないし、今までそんな例もないのでわからないと言い、県庁の教育課に連絡して聞いてくれと言われ、今度は県庁に連絡すると、またお役所の方に電話してくれと言われたと言うのだ。
「この国は誰も自分の仕事に責任もないし、押し付けてばかりで何もしないヤツらばかりだ!自分がこんな国の国民だなんて情けない!」
と、旦那は言った。
ごめん。。。仕事中にこんなこと頼んじゃって。。。。でももうわたしの精神力と英語力じゃムリ、というか。。。
情けないわたし。。。。
そして、情けない親。。。
本当に泣けてくる。
娘、学校に行けるのだろうか。。。。?
車の事故の後、色々と重なってやっと落ち着いてきたかと思いきや、またも問題発生。。。。
それでも諦めるわけにはいかないのだ。娘を学校に入れなければ。

娘の学校は無事に決まるのだろうか。。。。

次回に続きます。

事故に遭ったとき

ブログを始めてから、辛いボート生活も気分的に楽になった。今まで心の中で溜めていたことを発散しているからかもしれない。
ボートを買おうと思い立ったあたりからかき始めて、色んなことがまるでこの間のように次々と思い浮かぶ。それをそのまま描写すると、なんなく書ける。文章にすると、そうだ、こんなこともあったなあとか、あの時はよく乗り越えたなあとか、色んなことを思う。
書きながら発散しているうちにもう4月になった。
Aがわたしの誕生日に合わせてイギリスの南東部にあるコーンウォールというところにファミリーハウスを予約してくれた。旦那、わたし、娘、AにMAちゃん、そしてもちろんWとで数日間のホリデーを過ごすことになったのだ。
娘はMAちゃんとお泊りができるので、数日前から「いつ行くの?明日?」と1日に何度も聞き、とても楽しみにしていた。もちろんわたしと旦那も久しぶりに陸の暮らしができるので、すごく浮かれていた。
せっかくなので、水もいっぱい汲んで来ようと大きなタンクを2つも車に詰め込み、普段使えない入浴剤や、ついでにアイロンもしちゃえとアイロンまで持って、大荷物でコーンウォールに向かった。

そして、道中わたし達は事故った。

これがその時のことを書いたブログです。
お知らせ
お知らせ2


わたしはブログを書き進めていって、このことはまだ書かないでおこうと思っていたが、かなり辛かった時期で疲れ切っていたので、書かないではいられなかった。
書くことで、誰かに伝えることで気分的に楽になるのも分かっていたからだ。
そのとき色んな人から心のこもったコメントをもらった。
全てのコメントを読みながら、わたしは子供みたいに大泣きしながらありがとうを言った。
あのとき、ブログをはじめて本当に良かったと思ったし、こうやって世界のどこかでまだ会ったこともない誰かがわたしのことを理解してくれて、励みになってくれるんだと、心の底からわたしのブログを見つけてくれた人達に感謝した。
それからというもの、コメントはいつもわたしの励みになり楽しみとなった。

ボート生活を始めた頃から問題だらけで体力的にも精神的にもダメージが多いようなことばかりだが、その代わり本当に色々な人達に助けられて来た。
どんな小さな助けも、些細な言葉も気遣いもわたしは絶対に忘れたくない。
人と関わることは時には勇気のいることだけど、少しの付き合いでも人との出会いを大切にしていこうと思う。
いつかわたしが誰かの助けになるようなことができるように祈りながら。
プロフィール

スカイ

Author:スカイ
イギリスで旦那と娘3人でボート暮らしをしていた生い立ちを綴っています。
家賃も地方税も無い自由な生活を選んだはずが、なかなか大変なボート暮らし。大好きなお風呂にゆっくりと浸かることができる生活を毎日のように夢見て、早くボート生活から抜け出したいと思いながら結局7年間を費やしてしまいました。
めちゃくちゃなボート仲間達との暮らしも今はいい思い出です。

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