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ブログを始めようと思ったきっかけ

クリスマスも無事に終わり、後は年越しかというある日、わたしが仕事から戻るとボート仲間達がホースで川から水を汲み上げて、一斉にみんなのボートに水をかけていた。
旦那も一緒になってタワシで誰かのボートを擦っている。
娘は弾ける水しぶきで遊びながら、大はしゃぎだ。
寒空の中、何をしているんだろう。年末大掃除の一環だろうかと思って聞いてみると、全てのボートに地域住民達が生卵を投げつけて行ったというのだ。それで、みんなでボートを洗っているのだという。
わたし達の「ダイアモンド」もやられたらしかったが、わたしが見た時はもう綺麗に洗い流された後だった。
ボート仲間達は怒ることも悲しむこともなく、普通にそれを受け入れて、みんなのボートを仲間同士で洗っていた。途中互いに水をかけ合って遊んでみたりして、いつものように楽しんでいるようだった。
そして「卵をこうやってムダに使うなんて、よっぽど金がありあまってるんだなあ。」と、訳のわからないことに関心していた。
その様子を見て、わたしはなんだかすごく切なくなった。
バカだ。この人達、本当にバカでお人好しで、すごく優しい人達なんだと思った。
その年の冬、わたしはボート仲間達、特にPやPの彼女、双子兄弟に今までになく助けてもらっていた。彼らはわたしが家探しを諦めて落ち込んでいると知ってから、何かと力になろうとしてくれて、いつも娘を抱えて洗濯に行ったりゴミを運んだりしているわたしのことを気にかけてくれていた。
彼らが居たから、わたしと旦那は家族そろってまだボートに住もう、もう少しだけやって行こうと決めることができた。
わたしにとって彼らは他の誰よりも価値がある人達だった。
それなのに。。。。
わたし達、ボート住民達は本当にゴミのように扱われている。
確かにこの大きい世界から見たら、彼らは小さな小さな存在だけど、その小さな存在達もちゃんと生きているのだ。色々なことを心に秘めて、静かに、そして楽しく笑って人生を送っているのだ。
わたしはボートを懸命に洗い流す彼らを見ながら、全く動けなくなった。
わたしにとっては特別な場所で、特別な仲間達が、みんなで特別な時間を一緒に過ごしているのだ。
ここにこうして生きている人達がいる。この人達がどんな人達かなんて世界中に知られなくてもいいけど、でもどこかの誰かに知ってもらいたい。
彼らの価値はその辺の人達から見たら全く無いに等しいけれど、誰か少しの人が価値があるって思ってくれたら、わたしはそれだけで嬉しい。
彼らの人生はただ意味もなく流れて終わってしまうかもしれないけど、わたしが少しでも彼らがこうやって生きていることを文章にしておいたら、彼らはすごくすごく小さな物語の中でずっと残ることができるかもしれないのだ。
この人達をこの瞬間を、ずっと忘れないでいたい。そして、本当に少しでいいから、誰かに知ってもらいたい。

わたしは決めた。
ブログを始めよう。

本当はボート暮らしを始めた時から友人達にブログをしたらと勧められていたが、ネット環境が整っていないのと、なんだか恥ずかしいという思いがあったのでためらっていた。
何か書くのは好きなので、ちょこちょことどうでもいいものは書いてはいたが、はっきり言って人に見てもらうようなレベルではない。わたしを良く知る友人なんかは、わたしが書いたものを小学生レベルだと笑うぐらいだ。しかも、ソーシャルネットワークもしないぐらい時代遅れのわたしが、パソコン開いてブログだなんて言ったら、みんなびっくりしてひっくり返ってしまうだろう。
なので、こんなわたしがブログを始めようと決意したということは、すごく大きな決断なのだ。
そして、わたしがボート生活を綴ったからと言って、わたし達の生活が変わるわけでも、ボート仲間達の助けになるわけでもない。
本当にすごく意味のないことなのは分かっているけれど、わたしは彼らのために何かしたい気持ちになった。
お金がたくさんあったらいくらでも彼らを助けてあげれるけど、残念ながらわたしにそれはムリだ。
でも、味方を増やしてあげることはできるかもしれない。
迫害を受けて嫌われている彼らを、少しでも理解してくれる人がいてくれるかもしれない。
それから、わたしが伝えたかったこととか、いっぱい吐き出すこともできる。

わたしはパソコンに向かった。
はっきり言って、まったく未知の世界に突入することになるので、かなり手探り状態だ。
(今現在だって、ブログを始めてずいぶん経つのに訳のわからないことが多くて、怖くて手をつけてない機能がたくさんある。)
それでも少しづつ、どこにいるかわからない誰かにボート生活と仲間達を分かってもらえたらいいな、と願いながらわたしのブログが始まった。
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楽しいはずのクリスマス前に、ついに始まったボート住民迫害

クリスマスが近くなってきた。
クリスマスツリーの点灯式が行われたり、クリスマスマーケットが開催されたりする。赤、緑、白、そして金や銀で飾り付けられた町は、クリスマスショッピングに繰り出した人で賑わう。
人々は忙しい、忙しいと言う割にはクリスマスが好きで、顔にこそ出さないが、浮かれている。

ボート仲間達は分かりやすく浮かれていた。まだ12月前半なのに、すでにサンタの帽子を被ってミンスパイをストーブで温めて食べている。
関係ないが、このミンスパイ、洋酒で煮詰めたレーズンやリンゴやらのドライフルーツが甘いビスケットの中に入っていて、相当重い。カロリーも高いだろうに、その上に更にカスタードクリームをかける。カスタードをかけると言っても半端じゃない。ミンスパイが見えなくなるほどかける。
ボート仲間達はカスタードまで買う余裕がないので、温めたミンスパイをそのままがぶりと食べる。時々カスタード缶が手に入ると大喜びだ。
そんな無邪気な仲間達がいるボートコミュニティに、面倒なことが起きた。またお役所が立ち退き命令を出したのだった。今年もまた水上ポリスと御同伴でだ。それに加え、その年は陸上警察までお役所さんと手を組んでる。
ボート仲間達は誰一人として、お役所に何か言われたからと言って逆上したり暴れたりなどしない。皆大人しく警告状をもらい、反論さえしない。何が恐ろしくてお役所は警察同伴でやって来たのか?
陸上警官達に関しては、ボートのまわりに数人が立って軽く包囲しているではないか!
わたし達は凶悪犯罪者か?
なんだか様子がおかしいので、警告状を読むと、また昨年のように春になったら立ち退けということの他に、かなり強い文書で早くても春には法律が改正され、この場所は役所の管理下になるので、立ち退かない場合は犯罪になり、罰金を払うか裁判に掛けるというものだった。
この文書でボート住民達がキレるとでも思ったのだろうか?
呆れた。役所は警官を何人も動員して、更に法律まで変えようとして、市民の大事な税金をかなりムダに使っているような気がする。
ボート住民達は相変わらずだった。法律が変わったら、もう仕方がないので、どこかに移動するしかない。でも、去年も大人しくしていたのに、今年もまたお役所が警戒心丸出しの態度で警告状を配布して回ったので、誰もが少し傷ついたようだった。
そして、楽しいクリスマスが始まろうとしているのに、わたし達は地域住民達からの嫌がらせを受けるようになった。
ほとんどが年寄りばかりだが、通りすがりに「お前達がこの綺麗な景色を壊している。」とか「ジプシーたちめ!目ざわりだ。」とか頻繁に言われるようになった。
その度にボート住民達は「ごめんよ。」と言って軽くあしらうしかないのだ。
これ以上何もできないのだから。
もちろん誰もがこの先のことを心配しだした。この場所にいれなくなったら一体どこに行くというのか。
わたしと旦那も同じだった。ボートのローンを払い終えて、その分で貯金ができるまでどこにも行けない。それまであと最低でも1年、それ以上は必要だった。
ボートの場所代を払い、家賃を払い、ボートと家の税金を払いながらローンも返済する。。。
わたしと旦那の収入では、かなりムリがあった。
そしてボート仲間達も一緒だった。
その中でたった一人だけなんとかなりそうな人がいた。Pだ。彼にはお金があった。一緒にボートで暮らしている彼女にはもう成人した子供達と孫達がいるのだが、Pはその全員を連れてバルバドスに旅行に行って来たばかりだった。
彼だけは高いお金を出してボートの停滞場所を借りることができた。でも、問題はお金だけではなかった。
場所がないのだ。
ボートだけを止めておける場所はあるのだが、中に住んではいけないという条件の場所ばかりだった。
Pは実はロンドンのどこかに自分の家もあるのだが、なぜこんな状況でもボートに住み続けているのかさっぱりわからない。
とにかくわたし達は皆、とりあえず法律が変わってそこにいられなくなるまで大人しく暮らして行くしかなかった。
そんな中、住民達の嫌がらせは少しずつひどくなって行った。
窓ガラスに石を投げられたり、車のタイヤをパンクさせられたり、旦那の車はフロントガラスまで割られた。
地域の新聞は、ありもしないことをどんどん書き出し、たまたまゴミを数分だけ外に置いておいたときの写真を撮られ、外に置きっぱなしで景色や自然を汚しているなどと書かれた。
この辺は裕福な一件屋住まいの家族が多く、教養ある方達が多いはずなのだが、そんな育ちの良い人達がやる行動とはとても思えなかった。

2013年のクリスマス、この冬ばかりは、さすがのボート仲間達も、パーティーなどと言っていられなかった。
無邪気にミンスパイを食べる彼らは、サンタの帽子をかぶりながら、静かなクリスマスを過ごした。

ハロウィンとガイフォークスナイト


家探しで本当にムダに夏を通り越してしまい、9月の娘の誕生会ですらMAちゃんだけを呼んでピザ屋で簡単に済ませてしまった。そう、娘はなんともう3歳になったのだった。
3歳と聞けばまだまだ何も分からないちびっ子だろうなと思いきや、意外に色んなことを言ったりやったりできる。10月も終わりに近づいた頃、娘はネコの格好をしてお菓子をもらいに行きたいと言った。どうやらハロウィンのことを言っているらしい。幼稚園で得た情報だろうか。。。。
ハロウィンの夜は子供達が近所を練り歩き、ハロウィンの飾り付けをしている家の戸をノックして「お菓子をくれないと脅かしちゃうぞ〜。」と言ってキャンディなどをもらう。近所の友達と仮装をして夜に出歩くので子供達は大はしゃぎだ。
さて、わたしも娘のために何とかしなければ、と思いきや、ボートコミュニティでのご近所さんは酔っ払いばかりだし、一緒に行ってくれる子供達もいないし、仕方がないのでわたしと旦那とで娘を連れてその辺を周ることにした。
すると、親分Pが、だったらみんなで仮装してハロウィンパーティーをして、娘と一緒にお菓子をもらいに行こうと言い出した。そしてPはボートをハロウィン仕様にデコレーションして、食べ物やら飲み物やらをたくさん用意し、なぜかDJブースまで設置して大掛かりなパーティーになってしまった。
仮装したボート仲間達やPの子分達が束になって娘を引き連れ、地域の子供達グループに紛れながらお菓子をもらいに家々をノックして周る。すごい光景だ。
娘は、見ているだけで楽しくなるぐらい大はしゃぎして、仮装した大人達もテンションが高い。これって、娘のためにやってくれてるのか自分達が楽しんでいるのか、すごく微妙だ。
その夜、娘が寝てしまってからもパーティーは続いた。

その翌週、毎年恒例のガイフォークスナイトが各地で行われた。ガイフォークスとは上院議場を爆発しようという大計画を立てたキリスト教徒だが、直前で捕まってしまった。その日を記念して至るところで花火を上げる。スーパーでは色んな種類の打ち上げ花火が売られ、地域主催の花火大会があちこちで見られる。
わたし達が花火を見れる一番近い場所はなんと、ボートの目の前だ。
ボートコミュニティの川を挟んで向こう側は、お金持ち達が集う会員制の施設になっていて、毎年この時期にはオーケストラも導入して盛大な花火を打ち上げる。その時は、こちら側からタダで花火がみれるので、地域の人たちも集まってきて、コミュニティの前には人だかりができる。その後近くで焚き火をするのが習慣だ。昔はガイフォークスの人形を焼いたらしいが、今ではどこも焚き火だけだ。
これをいいことに、ボート仲間達がバーベキューをしながらソーセージやハンバーガーを無許可で人々に売るが、もちろん誰も買ってくれない。なので、残った食べ物は花火大会が終わった後ボート仲間達みんなで食べる。そして自動的にまたパーティーだ。
Pがなぜかシャンパンを持って来て、一番最初にわたしと旦那に注いだ。
「家が決まらなかったのは、ボートに住み続けてオレ達と一緒にいろってことなんだ。」と、Pはなだめるように言った。
わたし達が家探しを諦めたことは、みんな知っている。そして、酷く落ち込んでいることも知っていた。
「オレ達がいるんだから、何か辛いことがあったら、いつもでも助けてやるぞ!遠慮は絶対にするな!」
激しい双子兄弟がわたしにガッツポーズしてみせた。
わたし達はボート生活にみんなで乾杯した。

いつか必ず終わりが来るこのボート生活。コミュニティの場所だって、いつまでいることができるのか誰も知らないが、たぶん近いうちに皆立ち退くことになるだろう。
その貴重な時間を大事にしようと思った。
おかしなハロウィンのパーティーや、仲間と花火を見て焚き火の前でシャンパンを飲むなんて、なんて贅沢な暮らしだろう。
貧乏で節約だらけのボート生活は大変だけど、これからだって経験するかしないかわからないような楽しい経験もたくさんしているのだ。
ここでは辛い時は誰かが話しを聞いてくれて、助けが必要だったら快く助けてくれる。毎日子供のようにはしゃいでも(わたしはそんなにはしゃがないけど。。。)誰も文句は言わない。こんな場所がこの時代、あちこちにあるわけではないのだ。
もう少しだけ、ボート暮らしを楽しんでみてもいいかもしれない。
この暮らしが娘に不備な思いをさせるのだろうか?
たぶん違う。
ハロウィンの夜、ボート仲間達に守られて、彼らにとても可愛がられ、娘は他のどの子供達よりも誇らしげだった。
彼女が笑っているうちは、ボート生活もそんなに大変なことではないのかもしれない。

冬が来る。ボートの上に旦那が割った薪が積み上げられている。暖かい薪ストーブがわたし達を癒してくれる。
この冬はどんなことでも楽しいと笑って、仲間が側にいることに感謝して過ごしてみようと思った。

絶対にあってはいけない恐ろしい出来事

2013年、ボート生活の貴重な夏を家探しのためにムダに費やしてしまった。気がついたら何一ついいことがないまま長い冬を迎えようとしていた。
不動産屋や大家達に長い間断られ続け、わたしは自分達が世の中から否定されているような錯覚に陥って酷く落ち込んだ。
水やトイレを自由に使えるかもしれないという小さくて大きな夢と期待感が崩れ、娘を彼女の大好きなお風呂に入れてあげれないことや、学校すら決まらないかもしれない不安で、泣きたくて仕方がなかった。
わたしはできるだけ娘の前で泣かないようにしていた。でも大声で泣きたいときもある。そんなときは娘をベビーカーに入れて散歩に行く。後ろでベビーカーを押すわたしの顔は娘には見えないので泣いてもいい。バカみたいに声をだして泣きたいときは、人気の無い林の中を通り、テムズ川が段差になって大きな滝になっている辺りの前で泣く。声を出して泣いても流れる豪快な川の音がわたしの声も苦しさも全部かき消してくれる。
娘はベビーカーの中で景色を見ながらはしゃいでいる。
チャンスだ。いっぱい泣こう。いっぱい泣いたら元気になるかもしれない。
そう思ってここに来たのに、涙がでない。まったく出ない。泣く気になれないのだ。
色んなことを思いだそうとしても絶望感しかわかない。何かしようとしてもまったく上手く行かない。高い壁の前で走っても、前には絶対に進めないのだ。
必死にがんばって出た結果が、家族離れて暮らすことだなんて辛すぎる。
人々に否定されて嫌われて、お金もなければ普通に暮らせる家もない。長すぎた。節約ばかりでいいことなんて何もない。あるのは惨めな自分と失望感だけだ。
なんだか、疲れた。泣く気にもなれないぐらい、もう体力も精神力も追いつかない。

川がごうごうとうねりながら流れる落ちる様子を見ていたら、ああ、とすごいことに気がついた。
簡単だった。
ここから飛び降りたら全てが終わるのだ。もう何も考えなくてもいい。もう悩まなくてもいいのだ。
良かった。そうだった。
そうか、そうだったんだ。
わたしは自分で酷く納得して、その豪快にうねる滝の方に近いて行った。
今思えばたぶん本当に数秒の出来事だったのに、すごく長い時間滝の音に吸い寄せられそうになっていたような気がする。

「ママー。なんか食べたい!お腹すいた!」
娘の声で足を止めた。
よく小説や映画なんかで「我に返る」とか言う言葉を聞くが、本当にそのまま、その通りだ。わたしは我に返った。
まるで誰かがわたしに乗り移ったみたいだった。
あれはなんだったのだろう?
不思議に思い、次の瞬間恐ろしくなった。
娘を乗せたベビーカーを押して急いでそこから離れた。
「自殺する人はバカだ。」
誰かが自殺したというニュースがあるとよく聞く言葉が、わたしの頭の中で響いた。
違う、違う。そんなものではない。それは突然やってくるのだ。もしかしたら、脳のちょっとした部分を刺激すると起きる現象かもしれないし、自分でコントロールできない何かかもしれない。
それが弱い人間だからとかそんなことではなくて、もしかしたら誰にでもありえることなのかもしれないのだ。
そう思うとそれはすごく、すごく恐ろしいことだった。
わたしはもう少しで大切な家族を残して死んでしまうところだったのだ。
怖くてわたしは旦那に早く帰ってきて欲しかった。
目の前で娘が幸せそうにリンゴをほうばっている。
ああ、良かった。今こうやって娘の顔を見ていることがまるで奇跡のようだ。大好きな旦那と娘をいっぱい抱きしめたい気持ちになった。

わたしはこの恐ろしい出来事を旦那に話した。バカだと呆れられるのも分かっていたが、話すと少しは楽になる。
わたしの話を聞いて旦那は怒るかと思いきや、まったく予想外のことを言った。
「ウソでもいいからちょっと声を出して笑ってみろ。」
は?何言ってんの?ああ、ムリにでも笑ったら元気になるっていう無理やりポジティブ戦法?バカバカしい。
わたしがイヤだと断ると、旦那はいいから笑ってみろとしつこい。仕方がないので、「あははは。」と言って笑ってみる。別にできないわけでもない。
旦那は言った。「本当に辛い時はウソでも笑えないんだ。とりあえず笑えるんだから大丈夫だ。悩んでることはそこまで重要じゃない。」
え?そうなの?重要じゃないんだ。。。。
そう言われるとそうかもしれない。確かに、義母が亡くなった時はウソでも冗談でも笑うことができなかった。大切な人を失うということは、何よりも辛いことだ。
わたしは今、ウソでも笑える。
旦那は自分の最愛の母親を突然亡くしたときに、今のわたしよりも絶望して悲しんだのだ。それを乗り越えた旦那にしてみれば、人生が上手いこといかなくて落ち込んでいるわたしの悩みなど、そんなに重要なことではないのだ。
そして考えてみると、確かにそうだ。前に進まないだけで、大事なものは全部ここにあるではないか。大好きな旦那と娘。節約生活と言っても何もないわけではない。安心して眠れるベットもあるし、食べるものだってある。寒くなったら薪ストーブだってあるし、テレビも見れる。ケータイやパソコンまであって、なんだかんだと人並みに暮らしているではないか。
わたしは何に落ち込んで何を悩んでいたんだろう。
家が見つからないなら、ただそのままいつものように暮らしていけばいいことなのだ。
人がわたし達を見下そうが、生活保護者扱いしようが関係ないではないか。
と、考えたら、ああ、本当に川に飛び込まなくて良かった。
考えれば考えるほど恐ろしい出来事なので、それすら考えるのも止めた。

次は何かにつまづいたり落ち込んだら、一度ウソでも笑ってみよう、と思った。
そして、大事な人達がちゃんといるんだということを忘れないでいようと、心から誓った。

家探し

家探しが始まった。
ボートに住んでいる5、6年の間に家賃の相場がすっかり変わっていた。3割は確実に値上がりしている。
わたし達はお役所が指定してきた予算内の家賃の物件を探さなければいけない。わたし達も安いければ安い方がいいので、一部屋の物件を見つけるが、物件の条件にはいつもファミリー不可とか、1人住まい限定などと書いてある。
わたしのボートがある地区は中流階級者が多い地区なので、家賃もそれなりに高い。ファミリー可の物件だと2部屋以上になるので、予算内に当てはまる物件ははっきり言って一軒もなかった。仕方ないのでボートや職場から結構離れたところで探すことにした。
日本も場所によってはそうかもしれないが、イギリスは生活保護者や所得が低い人達の地区と中流、上流階級の地区がはっきり分かれている。同じ地区でも分かりやすく分かれていたりする。なので、安い物件はあまり治安が良さそうではないところに固まっている。そしてそんな地区は、同じように学んでいるはずなのになぜか学校のレベルが低かったりする。
わたしと旦那はとにかくボート生活から脱出できればいいので、場所は特に選ばない。逆に生活保護者が多い地区だと見つかりやすいかもと期待さえした。
それなのにどこの不動産屋も役所が検討してからお金が払われると聞くと、あからさまに血相を変えて「生活保護者は御断り」だと言うのだ。
わたしと旦那はまだ援助すら受けていないのに生活保護者扱いをされ、相当嫌な思いをし続けた。それでも予算内の物件を見つけるたびに体当たりし、丸3ヶ月間ひたすら色々な不動産屋に断られ続けた。
仕方がないのでこんどは広告やネットなどから不動産屋を通さず個人で貸し出している家をあたるが、いいところが見つかっても役所が物件の審査をしているあいだに他の人に取られてしまう始末。
季節は夏真っ盛り、ボート仲間達は夏のボート生活を存分に楽しんでいた。それを横目に、わたしと旦那は必死で物件を見て回り、不動産屋と交渉する日々に追われた。
夏が終わるとすぐに冬が来る。その前にどうしても家に移りたかった。
そして、懸命に家を探すのにはもう一つ理由があった。娘の学校だ。
イギリスの一年生は6歳になる年に始まるが、その前の5歳になる年にレセプションと言って小学生になる練習クラスと、4歳になる年には1日3時間だけの幼稚園クラスがあった。娘は次の年の9月には(イギリスの入学式は9月)幼稚園クラスに入れる歳になるので、その申し込みを入学の年の正月明けまでにしなければいけなかった。なので冬までか、遅くてもクリスマスまでには家に移って住所を明確にしなければ面倒なことになる。

家を必死で探し続けているうちに、夏ももう少しで終わろうとしていた。
わたしと旦那は徐々に疲れはじめていた。毎回同じような繰り返しで一向に決まらないのだ。
わたしと旦那からは笑顔が消えた。物件情報を見るのすら嫌になっていた。お役所が出した条件と方法で家を借りることに成功した人達は果たしているのだろうか?
周りの仲間達は、わたしが娘を連れて旦那に追い出されたので住む家がないと役所に言えばすぐに家を与えてもらえるのでそうするか、仕事を辞めて職がないから助けてくれと言ったらすぐに援助してもらえるぞと、皮肉っぽく言った。
わたしも旦那も本当にそうなんだろうなあ、と思った。

もうダメだと諦めて、お役所にもう家探しをやめると連絡しようかと旦那と話しているときに、一つの不動産屋から電話がかかってきた。ある物件の大家が「生活保護者でもちゃんと仕事をしているような人達ならいい。」と言っていると言うのだ。わたし達が必死で家探しをしているのが気になって、わざわざ連絡してくれたらしい。
不動産屋は冷たい人達ばかりだと思っていたら、信じられないことにわたし達のことを気にかけてくれる人もいたのだ!
わたしと旦那はすぐに役所に連絡をとった。役所の担当者もとても喜んでくれ、今度こそはこの物件を逃さないようにすぐに審査に入って不動産屋にお金を振り込むと言ってくれた。
わたしと旦那は、飛び跳ねて喜んだ。いつも朗報は諦めたころにやって来る。嫌な思いをしながら必死で探して、交渉してきた苦労が実ったのだ!
そして、役所は本当にすぐに良い返事を出してくれて、これから不動産屋にお金を振り込むと連絡が入ったその日に、今度は不動産屋から電話がかかってきた。
「本当に申し訳ないが、他のカップルがあの物件を借りたいと申し出て来て、大家はやはり国から援助を受けていないそちらに貸すことにしたので、この話は無かったことにして欲しい。」と、申し訳無さそうに言った。
これが大きな打撃になった。わたしと旦那は完全に家探しを諦めた。
力という力が全部無抵抗なまま何かに吸い取られてしまった。
わたしは悔しくて一晩中泣いた。働いても働いても貧乏なわたし達には、これ以上どうすることもできなかった。真面目に一生懸命生きることは、人生においてあまり重要なことではないのかもしれない。
家探しを諦めた後、わたしと旦那はできれば避けたかった選択をするしかなかった。
わたしと娘が日本の実家か、イギリスの北にある旦那の父親の家に移り、旦那だけがボートのローンが終わるまでボートに住み続けることだった。ローンさえ払い終わったら、その後少しの期間貯金してアパートを借りることができる。約2年間の別居生活だ。

その頃のわたしは、あれが本当にわたし自身だったのか?本当はわたしではなかったんじゃないだろうかと思うぐらい別人のように落ち込んで、最悪の精神状況だった。毎晩悪い夢で目を覚まし、旦那と娘の寝顔を見ながら悲しくてどうしようもなくなって泣いてしまう日々が続いた。
長くて先の見えない真っ暗な森の中に迷いこんでしまったようだった。
プロフィール

スカイ

Author:スカイ
イギリスで旦那と娘3人でボート暮らしをしていた生い立ちを綴っています。
家賃も地方税も無い自由な生活を選んだはずが、なかなか大変なボート暮らし。大好きなお風呂にゆっくりと浸かることができる生活を毎日のように夢見て、早くボート生活から抜け出したいと思いながら結局7年間を費やしてしまいました。
めちゃくちゃなボート仲間達との暮らしも今はいい思い出です。

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