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旦那の提案

「カナルに移動しよう。」
旦那が何の前置きもなく言った。
Wが少し離れたので、わたし達はWの発電機が使えず、わたしは本を読んでいた。日本語の本だったので、旦那が言った短い言葉を聞き違えたかと思い、もう一度聞くと、カナルに移動することにすると言った。
わたし達はロンドンの中心部から電車で30分離れたサリー州にいて、職場は二人ともロンドンだった。バスを乗り継いで近くの駅に行っても、通勤に1時間以上かかっていた。
なので、わたしは大賛成した。

元々、わたし達は色んなところに移動しながらボート生活を送ろうと話していた。ロンドンのカナルは北から南まで繋がっていて、どこに止めても便利なところばかりだ。しかも24時間でボートを移動しなくてもいい。一週間が相場だが、場所によっては二週間停滞できるところもある。マーケットの前だったり、大きな公園の前だったり、中心部の近くだったり駅の横だったり、考えただけで楽しくなる。
どこの場所もロンドン中心部は家賃が高い。そんなところに、家賃など関係なく滞在することができるのだ。
すばらしい!

「いつまでもWや仲間達に頼ってばかりで、毎日飲んで騒いで。こうやってボートライフをムダにするのはイヤなんだ。」
旦那が言った。
そう、その通り。今できることをしないとね。旦那、やっと気づいてくれたんだね。
いつかはこんなことを言い出すだろうと思っていた。
わたしと旦那はどこか似ていて、いつも周りに仲間が集まるが、だんだん仲間とつるむのが窮屈になってどこかに移動したくなる。よっぽどわたし達は過去に何かイヤな思いをしたのかと思うほど、毎回だ。
今回は少し早かったなあと思いながらも、わたしは新しい場所を夢見て、久々に浮かれた。
カナルに移動したら、ボート仲間達はもう周りにいないが、その分面倒なことで心配しなくてすむ。
旦那も自分の提案に満足そうだ。

何かが吹っ切れたような夜だった。
なんだか自由になったような気分のわたしと旦那は、明日はどこに移動するか、いつテムズ川を出るかなどを話し合いながら眠りについた。
外は珍しく静かだった。時々仲間達の話声は聞こえるが、騒いで遊んでいる様子はなかった。Wも何か考えているのだろうか。
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警告の紙が貼られた

ボート仲間達のコミュニティの近くに移ってから3日目に、わたし達のボートとWのボートに「警告」と大きく書かれた紙が貼られた。わたし達が停滞している船着場は24時間までは無料でボートを止めらるが、それ以降は一日5ポンド払わなければいけないので、すぐに払わないと罰金をとるか、ボートを強制的に撤去するというものだった。
わたし達は朝にその張り紙を見たが、旦那は仕事に行かなければいけなかったので、そのまま放置して出かけた。わたしは休日だったが、どうしていいか分からないし、心配なのでどこにも行くこともできず、仕方なく一日掃除でもして過ごすことにした。

昼過ぎ頃、Wのボートにエンジンがかかったかと思うと、Wの叫び声が聞こえた。
「ちょっとボートを前に動かせ!どけどけー!」
わたしが外に出てみると、Wは自分のボートを無理やり誰かのボートの後ろに押し込むようにして止めようとしていた。
わたし達が止めていた船着場は、水門の係りの人達が管理していて場所代を請求していた。船着場はコンクリートで整備されていて、途中から小さい土手のように、土と草に変わる。水門係りの管轄はコンクリートのところまでで、そこから先はプライベートの土地になるのだ。
このプライベートの土地は、持ち主が誰にも譲らずそのまま他界したため、地方自治体も規制を作れず、かなり広い範囲でそこだけ法律が確定していなかった。そのため、ボートを24時間以上止めたら罰金という法律が成り立っていなかった。
なので、ボート仲間達はそこにボートを止めたままにして、そのうちコミュニティができてしまったのだ。
そのコンクリートの船着場の横にWは無理やりボートを押し込んで、停滞料を払わなくてもいい場所ギリギリに居座ることに決めたらしい。
そうしたら、わたし達はどうなる?
わたしはかなり不安になった。毎日5ポンド払わなければいけなくなるのかと恐ろしくなった。
そして、旦那が戻ったら、Wの自分勝手な行動に腹をたてるだろうと思うと、面倒な気持ちになった。

夕方前、旦那は急いで帰ってきた。そしてダイアモンドだけが船着場に残っていて、Wがいかにも自分のことしか考えてませんと言うようにボートを移動させたのを見て、予想通り激怒した。
Wが「よう!ブラザー、調子はどうだ?」と旦那に話しかけて来ると、旦那は挨拶を無視して「これから、水門まで行って停滞料を払って来る。」と言った。
Wはそんなものは金のムダなので払うなと言うと、旦那は「オレはルールに従うだけだ。しかも、自分の身しか考えられないお前とは違う。」と言った。
Wはなんのことを言われているのか分かったらしく、「オレがどこにオレのボートを移動しようが、オレの勝手だ。お前も好きにやっていいんだ。」と返した。
この二人はいつもだ。殴り合いのケンカにまではいかないが、ネチネチとイヤミっぽいケンカをする。
わたしはもう慣れても良さそうなのに、いつもハラハラしながらそれを見ている。ボート仲間達も黙って見ている。
旦那は「もちろんだ。オレはオレのやり方でやる。停滞料を今日の分まで払って、明日ボートを移動する。」と言って、停滞料を払いに行ってしまった。

なんだか面倒なことになっているようだが、わたしは旦那と二人だけでどこかに移動してもいいと思っていた。そんな日がいつか来るのだから、それでいいではないか。

その後、旦那は仲間とツルまず、ボートの中で夜を過ごした。そしてわたしにとても彼らしい提案をしてきた。
その提案は、また次回に続きます。

Wの作り方

自由奔放なWという人間は、どうやったらできてしまうのか?
わたしは何度かそんなことを思ったことがある。

Wがなぜ、どんな経過でボートに住むことになったかは分からないが、彼に聞くと、「自由が好きだからだ。」と言っただけだった。
彼が一番最初に手に入れたボートは木製のカナルボートに近いような小さなボートだった。シングルベッドとカセットトイレでいっぱいになるぐらいの大きさだ。
Wはそのボートを沈ませてしまった。
船着場に止めてロープを十分な長さを取らないで縛り付けたため、満潮になった時にボートが半分岸に上がり、干潮になったときにそのままひっくり返ってしまったのだ。
その時彼はパブで飲んでいて、ほろ酔い加減でボートに戻るとボートは半分以上沈んでいた。
ボートの中は全て水浸しで、ボートを引き上げるにもお金と時間がかかるので、彼は諦めた。たった数時間で、家を含めたほとんどの私物を失ってしまったのだ。
その頃わたしと旦那はまだ結婚前で、友達数人と家をシェアして暮らしていた。そこにWが居候しにやって来たのだ。
彼は全てを失ってすっかり元気がなくなり、わたし達の部屋の隅でがっくりと肩を落としていた。風呂にも入ろうとしないし、食事もほとんど取らない。ただ同じ姿勢で2、3日うなだれたままだった。
なんだかWがだんだん巨大なボロ雑巾に見えてきて、わたしは彼の存在を忘れそうになるところだった。
何日かして、彼は人が変わったようにまた元気になり、テムズ川に帰ると言って出て行った。

Wは南アフリカの白人社会で産まれ育った。Wの両親は何かの理由で産まれたばかりの彼を養子に出したので、彼の今の両親は血の繋がりのない両親だが、彼を自分達の子供のように育てた。
Wがいつ自分の両親が本当の親ではないと知ったかは分からないが、もしもそれを知っていて幼少時代を送っていたら、やはりどこかで一人になる不安を抱えていたのではないかと、わたしは勝手に思っている。
しかも彼は多動症と診断されて、子供時代を特別学校で過ごした。この頃の南アフリカは、少し授業が遅れるとすぐに特別学校行きだ。ちなみに旦那も特別学校出だ。
南アフリカの特別学校はほとんどが全寮制度なので、Wは早い時期から親元を離れて生活したのだ。さみしい思いをしたのではないかと思われる。
だから、親の気を引きたくて、騒いだり悪いことをする。そのまま大人になり、(見た目は大人だが、中身は子供だけど。。。)皆の気を引きたくて、また同じことをする。一人が不安だから、仲間とつるみたがる。そうやって今のWができてしまったのではないかと、わたしはまた勝手に想像している。
Wは寂しがりやで、人に嫌われたくない割にはかなり自己中だ。ただの自己中ではない。自分勝手な自己中だ。
それでも、気前はいい。少しお金が入るとみんなにおごったり、頼まれごとも聞いてくれる。そのかわり、何かを頼むのも、人におごらせるのもうまい。
はっきり言って、わたしはさっきからWの人格をフォローしようと思っているのに、全然フォローになっていない。
それでも、信者みたいについて来る仲間がたくさんいるのだ。これがカリスマ性と言うのか。わたしはなんなのか分からない。
そして、何かあるたびに騒ぎや問題を起こし、年に一度ほど何かの理由でズトンと落ち込み、またボロ雑巾になるのだ。
本当に好き勝手に生きている。

わたしは日本で、本当に標準的に生きてきた。親に捨てられたわけでもなく、戦争や紛争などを経験したわけでもない。
Wはアパルトヘイト真っ只中で、黒人達が奴隷にされているのを見ながら大きくなったのだ。(ちなみに旦那も) 特別学校で人と違うということを意識して生きてきたのだ。(しつこいが、旦那も)
彼という人間がどんな風にして出来上がったか、わたしには分からなくて当然だ。
周りから見ると彼はどうしようもない酔っ払いか、ただのお調子者にしか見えないかもしれないが、WはWで、わたしの全く知らない世界で色んなことを思い、彼という人格を作り上げてきたのだ。

今日もWは出会った時と(体重が増えて、禿げたぐらいで)ほとんど変わらずに生きている。Wが抱えてきたものはわたしには分からないが、これからもずっと彼はこのまま生きて行くんだと思う。
そして、わたし達も振り回されながらも、ずっと付き合っていくんだと思う。

ボートが消える!?

2008年の1月はそこそこ寒かった。
クリスマスと年末年始をなんとか乗り越えたわたし達は、また貯金のない(旦那はマイナスのまま)生活から新しい年を始めた。
まだ薪ストーブがなかったので、ガスでお湯を沸かして、熱い湯で部屋を暖めるというセントラルヒーターを使っていた。ガス代が結構かかるので、寝る前の1、2時間だけヒーターをつけて、厚着をして布団に入った。休日は朝から散歩に出たりして体を温めて過ごした。
1月下旬までそんなふうに過ごして、2月に入ると少しだけ寒さが増した。
ラッキーなことに例年よりはそんなに寒くなかったのだが、それでも真冬の2月、川はアイスみたいに冷たい。そしてボートはその上に浮いているのだ。寒くて時々目が覚める夜もあった。

正月気分もなくなった頃、ボート仲間達のボートは皆、コミュニティのあるところに戻って行った。わたし達とWとANのボートはまだテレタビーランドに止めたままだった。寒くなって、ボート仲間達もほとんど現れなくなった。
わたし達は寒いので、唯一薪ストーブを持っているWのボートによく居座ってDVDを見たり、ゲームをしたりして夜を過ごした。ANもいつも角にひっそりといた。
わたしはそんな静かで平和な毎日がなかなか好きだった。寒くて雨ばかりの冬がもう少し続いてもいいと思っていた。
そんな平穏なある日、わたしが仕事から戻ると、ダイアモンドもWのボートも消えていた。
ALのボートだけが残っていたので、わたしは彼のボートをノックしたが、彼は中にはいない。
毎日仕事帰りにわたしは旦那に電話を入れる。その日は何度かならしてもすぐに留守電にきりかわるので、何か変だとは思っていたが、まさか、ボートごといなくなっているとは。自分の家がどこに行ったか分からないなんて、ありえない。
わたしは今度はAに電話をした。Aはまだ仕事中で何も知らなかったらしく、「どうりで電話しても繋がらないと思ったわ!本当に自己中なんだから!」と怒っていた。彼女は車で戻って来るので、一度わたしを迎えに来ると言っていたが、1時間ぐらいかかると聞いて、いったん断った。そしてW、ALと続けて電話をかけた。全ての電話が留守電に切り替わる。
なんのために皆、ケータイの電源を切らなければならない。それとも、皆充電切れか。
まさか!事故にでもあってボートごとみんな沈んでしまったのだろうか!
わたしは心配になって、今度はSにも電話をしてみた。また留守電。。。
2月の寒空の中、わたしはテムズ川の前で、まるで思いつめた女のように立ちすくんでいた。どうしたらいいんだろう。。。
しばらくすると、電話がなった。旦那からだった。
「夕方ボートをハムに移動したんだ。S達のボートがあるところだ。電波がひどく悪いところで、今まで誰の電話も繋がらなかったんだ。」
わたしは旦那の言うことを聞いて安心したと同時に、怒りがこみ上げてきた。
「ハムってどこよ!」
旦那が言うには、反対岸に渡れば10分で行けるが、そうでなければ橋まで歩いて大回りして30分はかかるという。
真冬の寒い中、仕事で疲れているのに30分歩いて、その後ボートがある場所を探すなんて。。。。
わたしは少し途方にくれてしまった。あの寒いボートでもいいから早く帰って布団にもぐり込みたかった。

結局旦那がWの小型ボートで迎えに来てくれた。
わたしは旦那になぜ連絡もよこさないで勝手に動いたのかと聞くと、Wが突然決めて皆で移動することになったので、連絡できなかったのだと言う。
旦那よ。。。いつまでWの言いなりでやっていくのだ。。。
10分ほどでコミュニティのある場所に着き、ダイアモンドとWのボートは少し離れた船着場に止めてあった。
わたしがケータイを見ると、本当だ。本当に電波が悪い。ボートがあるすぐ先には隣町に続く水門があった。周りは遊歩道と森林だ。少し歩くと民家があるが、確かに電波が悪そうなところだった。おまけにテレビの映りも悪かった。
その代わり、ゴミ捨て場が10分先にあった。これで、毎日公共のゴミ箱を探して少しずつゴミを捨てなくてもよくなる。
歩いて15分ちょっとのところに、コインランドリーやちょっとした店などもあり、バス停もその通りにあった。
そんなに悪くはない場所だ。
勝手に家を移動されてわたしは憤慨していたが、悪いことばかりではないだろうと落ち着いた頃、Aが仕事から帰ってきた。
わたしが映りの悪いテレビを見てくつろいでいると、いきなりボートにやって来た。
旦那はWや仲間達と久々に外で騒いでいた。
Aはボートに入って来るなりわたしに言った。
「いつも、彼の行きたいところばかりに勝手に移動されて、わたしの意見は絶対に聞き入れてもらえないのよ!」
確かに。それは言えている。
「あの人はなんでここに来たか分かる?みんないるからよ!また毎晩酒飲んでパーティする気なのよ!」
ああ、そういうことか。。。Aの言うことにわたしは納得した。
またあのうるさい日々が始まるのか。。。。
Aはまた言った。
「わたしは昨日までの静かで平和な夜が好きなのよ。Wも飲み過ぎないし、余計なお金も使わないし。せめて冬が終わるまで落ち着いていられないのかと思うわ。」
そうです。その通り!わたしも同じ思いです。
わたし達女二人は肩を落とした。
なんだか男って、と思わずにはいられない夜だった。
でも、毎日飽きもせずに仲間達と騒いでいないと気が済まないWって、本当は誰よりも寂しがり屋なのではなのだろうか。。。。

次回はWという人物について書きます。

次回からブログ再開します。

ブログを見てくれている皆さん。

一週間ゆっくりしてきました。毎日お風呂に浸かっちゃいました。
お世話になったママ友には娘と同じ年の男の子がいるのですが、子供達も浮かれて大喜び。彼らを寝かしつけた後、美味しいワインを飲みながら、女同士で遅くまで話したり、DVDを見たり。
娘は体いっぱいに水疱瘡ができてしまいましたが、もうカサブタになっていたので、10日目で幼稚園に行けるようになりました。
わたしが仕事の日はママ友がわたしと娘を幼稚園まで車で乗せて行ってくれて、その足でわたしを駅まで送ってくれ、午後に旦那が娘を幼稚園に迎えに行って、また夕方彼女のところに置いて行くという感じでした。
ママ友はフランス人だからかどうなのか、料理がとても上手い!気がつくと、ちょちょっと、チョコレートムースやらスフレなんかも作ってくれました。
普段できないので調子に乗って、シャツを何枚かアイロンかけて、ドライヤーも使って、洗濯までしてきてしまいました。
水や電気が自由に使えるって、本当に素晴らしいことですね。それだけで、生活って本当に楽しくて楽になるんですね。

この一週間プチ別居だと旦那と話して、たまに顔を見ないのもいいかもね、などと話していたのに、結局ほとんど毎日顔を合わせることになりました。
ママ友の家にお泊まりの前の週末に、なんと、いなくなったネコが見つかったんです!
旦那がネコ探しにヤブの中に入ると、ネコの声がして、奥まで行くとネコが何かに引っかかって動けなくなってかがんでいたんだそうです。
わたしはその時、熱も下がって元気になった娘とボートの入り口でシャボン玉をしていたのですが、旦那がネコを抱えてやって来たのが見えた時は、本当にビックリして、シャボン玉の液をひっくり返してしまいました。
ボート仲間の一人も一緒にネコを救出たらしく、彼はその足でネコの飼い主のボートに乗り込んで、すごいケンカが始まりました。
ネコの飼い主はネコが灯油まみれになって死にそうなのは自分のせいではないし、今は犬がいるから何もできないと言い、それがきっかけで罵声、怒鳴りあい、殴り合いのケンカにまで発展したのです。
ネコを抱えた旦那は、ネコはもう自分達のネコにするから、さっさとケンカをやめてくれと一括して、ネコをボートに連れて来ました。
わたしも急いでたっぷりのお湯を沸かし、旦那と一緒にネコを洗いました。ぎょっとするぐらいネコの後ろ足の毛が抜けて、両足の毛がなくなって、皮膚がただれていました。
もう、灯油の匂いはかすかにしかしませんが、まだまだ毛は束で抜けています。
週末だったので動物病院はどこも休館。とりあえず動物愛護協会に電話して、手当ての方法などを相談しました。
その後、病院に行き、少しずつですが回復しています。
義父がいたので、ネコの毛だけでもと、結局仕事がない日はボートの掃除に行きました。すごく抜けるので、狭いボートが本当に毛だらけですが。。。

わたしも旦那も、ボート生活をしているうちは動物は飼いたくなかったのですが、なんだかネコはうちの家族の一員になってしまいました。
そしてわたしは図書館でネコの飼い方という本まで借りてしまいました。
結局、事故の時の少しの保険金でボートのローンを払い終わる予定が、ネコの病院代にいくらか使ってしまったので、まだローンは返せません。
来月にはなんとかなるんではないでしょうか。

ということで、ちょっとバタバタした休養でしたが、色んなことを考えたり、考えないようにしたり、普通にあるちょっとしたものに感謝したり、世の中って本当に誰にでも平等なのだろうかと思ってみたりしましたが、基本的にわたしは幸せなのではないかいうところに行き着きました。
そして、また家に住むことを夢に見ながらのボート生活再開です。

またまた長くなりましたが、また次回からブログの続きを更新します。
2008年、わたし達がボート生活を始めた初めの年越しが終わり、その冬の出来事からまた再開します。

これからもよろしくお願いします。

色々あって、少しだけお休みします。続き

お知らせの続きです。今回もまた長くなります。

事故にあってから、保険屋と話し合って、廃車になった車のほとんどのお金が支払われることになりました。
それで、わたし達はボートのローンを先に返してしまうことにしたのです。ローンは今年の10月まで残っているので、それさえ払ってしまえば、生活はかなり楽になります。そして、残りでとりあえず、近所を乗り回すぐらいの中古の小さい車を買うことにしました。
車が無くなってから、ボート生活は中々大変なものです。水を汲みに行くのも、トイレを捨てに行くのも、そしてコインランドリーに行くのも、全てバスや徒歩でとなると、ちょっとキツイです。
ボートのエンジンは壊れたままなので、不敏に思ったボート仲間が彼のボートでわたし達のボートを引っ張って、水汲みとトイレの汲み取りに連れて行ってくれました。彼のボートのエンジンの負担になるので、毎回お願いすることはできません。
旦那は忙しい中、エンジンのパーツをオーダーして、毎日少しづつ修理作業。イギリスは雨が多いので、取り外したパーツや修理道具はボートの中のにいちいち入れます。狭いボート、娘に触って欲しくないものが散らばっています。
そんな中、娘が水疱瘡にかかってしまったのです。
今度は職場の人達にも迷惑をかけると思っていると、ゆっくり休んでくださいと言う暖かい言葉。良かったです。職場の人達が家族みたいにいい人達で。
こうなったら、娘と二人でゆっくりと療養生活を送ろうと思いきや。なんと水疱瘡がまぶたの裏にできてしまったのです。
水疱瘡2日目、大きく腫れ上がった娘の目を見て、わたしは慌てて救急病院に電話。よりにも寄って、その日は3連休のど真ん中。対応してくれた看護師さんは、感染症にかかったり目玉に水疱ができていたら大変なので、すぐに来てくださいとのこと。
幸い結膜炎の目薬を処方してもらって済んだのですが、その翌日に今度は42度の熱がでました。焦ってまた救急に電話すると、今度はドクターが直接対応してくれて、解熱剤を飲んでも熱が下がらないなら、水疱瘡で弱った体に何かのウイルスが入った可能性もあると言うのです。
わたし達の娘、薬が大嫌い。どんなにピンクの甘い薬を見せても、断然拒否。口に入れても吐き出すし、旦那が走って娘の大好きなアイスを買いに行って、それにまぜても一口でバレてしまい、また吐き出すのです。
わたしはそのことをドクターに言うと、とりあえず解熱剤を飲んでもらわないと診断しづらいので、ムリにでも飲ませてから夕方に受診に来てくださいと言われました。
わたしは旦那に薬局に行って座薬を買ってきて欲しいと頼むと、旦那、座薬の方法を聞いて絶句。娘のお尻に薬を入れるなんてありえないと、断然拒否。
全く旦那が拒否する意味がわからないので、Aに電話して座薬を持っているかと聞くと、Aも大絶叫!それは虐待に値するわよ。と言うではないですか。
仕方なく、休日でも空いている薬屋に電話をして聞いてみると、座薬は医者からの依頼がないと処方できないとのこと。
仕方なく娘をそのままドクターに連れて行って、やはり薬は飲んでもらえないと言うと、ドクターは普通に「では座薬を処方しましょう。」と言ってくれたのです。そして、薬局に片っ端から連絡を取ってくれたのですが、どこの薬局も在庫切れ。ドクターは「あまり使う人がいないから、やっぱり手に入りにくいのね。」
結局、口にムリやり流し込むことができるように、スポイトのようなものと、味があまり濃くない解熱剤を処方してもらいました。

こんな大惨事の中、ネコがやってきました。このネコは近所のボートに住む男のネコなのですが、男はなぜか犬を飼い始めました。ネコは行き場を失い、ある日わたし達のボートに突然やって来て、かわいそうに思った旦那がご飯を上げるようになったのです。
ネコのことなど何も分からないわたし達。でも人間の食べ物はどうかと思い、さみしい家計ながら、キャットフードを与えてあげていました。
ネコは毎晩食べるだけ食べて、プイといなくなってしまいます。寒い日や大雨の日はボートの端っこに朝までいて、朝方旦那を起こして出て行きます。
そんなそっけないネコなのに、わたし達が事故にあった夜、なぜだかわたしや旦那の膝にのってきたり、娘が撫でてもジッとしていました。
そんなネコが、娘が水疱瘡で苦しんでいるときに灯油まみれになって入って来たのです。そしてなぜか、娘の寝ているベットに登ったのでした。
灯油の匂いに、汚いネコ。わたしはすぐさまネコをベットから降ろしました。すると今度は旦那のベットの下へ。
ボートの中は強い灯油の匂いで充満しています。耐えきれなくて旦那がネコを洗うことにしました。でも、娘が水疱瘡中。水の利用にも限りがあります。少ししか使えない水なら、汗だくになった娘を流してあげたいし、キレイな食器も使わせてあげたい。ネコを最小限の水で洗うしかありません。
お湯をつくるのも時間がかかるので、水とシャンプーで洗ったのですが、逆に灯油が広がったのか、もっとオイリーになってしまいました。そしてネコはいじけたように出て行ってしまいました。
翌日、さらにドロドロになったネコはいつ中に入って来たのか、一晩中旦那のベットの下にいたようです。わたしはなぜこんなに灯油の匂いが充満してるのかと思い、匂いをたどってみると、旦那のベットの下に黒い塊が!
ネコは旦那が仕事に行くときは絶対に一緒に外に出て行くのに、その日はジッとベットの下にいました。そして、鉛みたいに重そうな体を引きずるように出て行きました。
わたしはネコが灯油まみれになってから、一口もご飯を食べていないのを知っていたので、外にご飯を置いてあげました。そのときのネコ。わたしをさみしそうにちょっと見て、ゆっくりとヤブの中に消えて行ったんです。
何かおかしいと思い、ネットで調べたら。ネコって灯油で中毒になって死にいたることもあるんですね。そんなことも知らなかったわたし達。
仕事から帰って来た旦那にそのことを言うと、旦那は慌てて外に出て、ヤブの中に何度も入り、遅くまでネコを探しました。でもみつかりません。
それから、わたし達がどんなに待ってもネコは来ません。まだ3日目ですが。
旦那はすごく落ち込んでいます。水なんてケチらないで、たっぷりのお湯で洗ってやるんだったと後悔しています。
それでも、娘が熱と痒みで苦しんでいるので、わたしが娘に付き添っている間、仕事が終わると旦那は買い物に行ったり、まだ夜は寒いので薪ストーブ用に薪を割ったり、その合間にネコを探しに行き。。。。
それを見ているだけて、わたしは精神的に疲れてきました。
ネコがどんなに苦しい思いをしてたかと思うと、辛くて仕方がないです。

そして、それに輪をかけるように旦那が言ったのです。
「そういえば、親父が来週から1週間、泊りに来るんだった。」
そうだった。義父が来るのです。わたし達のボートの近くで行われるゴルフのトーナメントを見に来るので、電車もトーナメントのチケットもだいぶ前から取ってありました。今更キャンセルなんてお願いできません。
娘は今朝には熱も下がって、元気になっているのですが、一気に色んなことがありすぎて、ボートのエンジンのパーツも転がってる狭いボートに更に義父。
義父は放って置いても、勝手にサンドイッチなんか作って好きにやってくれるのですが、かと言って本当に放っておくわけにもいかず。いつもはセミダブルのベットにわたしと娘が寝て、旦那はソファーで寝るのですが、義父が来ると、義父がソファーで寝て、わたし達3人でセミダブルで寝るのです。
ちょっとキツいです。しかも、今のわたしにはその一週間がすごく長く感じます。義父を快くもてなすことができるかと不安です。
旦那も今回は義父にホテルでもとろうかと提案したのですが、相変わらずセコいわたしは渋っていました。

そんなとき、フランス人のママ友から電話がかかって来ました。わたしが娘をドクターに連れて行った日の夜です。
まず、娘が解熱剤を飲んでくれないことを話すと、「座薬、あるわよ。」と彼女は言うではないですか。そして「イギリス人達には言わない方がいいわよ。お尻に入れるなんて!って言われるから。フランスでは普通だから、向こうから持って来たの。」と言ったのです。そして、すぐに持って来てくれました。
彼女はわたしの顔を見て、だいぶ疲れてるっぽいと心配してから、義父が来る週はパートナーが遅いシフトで夜はいないから、娘と一緒に彼女の家で過ごしたらと言ってくれました。
「事故は3人とも無事だったんだし、ボートのローンも返せるし、座薬もここにあるし、ネコもあなた達のせいじゃないんだから、問題は全部解決したのよ。後はあなたが一週間、わたしの家でゆっくりお風呂に浸かって、ボート生活のことは全部忘れて疲れをとった方がいいわよ。」
彼女はそうも言ってくれました。
旦那も一週間、広々とベットで眠れるので、大賛成です。

ということで、休みます。一週間、ゆっくりすることに決めました。
前回のお知らせで、嬉しくなるほど暖かいコメントをいくつかいただきました。本当にありがとうございます。一人ひとりにお礼のコメントをしたいと思います。
こうやって文章にすると、気持ちもかなり楽になるもんですね。わたしがスッキリしても、読んでくれてる方々が疲れてしまったのではないでしょうか。。。。

バタバタ続きのブログですが、またすぐに続きを再開するので、これからもよろしくお願いします。

色々あって、少しだけお休みします。

ブログを楽しみに待っている皆さまへ
いつも本当にありがとうございます。
今日はいつもブログを読んでくれている皆さまに少しだけお休みのお知らせです。
と言っても1週間ほどだと思います。

実は4月の中旬に家族三人で乗っていた車が事故にあいました。旦那も娘もわたしもなぜか無傷です。誰に感謝していいやら、本当に何事もなかったのが不思議なぐらいに恐ろしい事故でしたが、全く不幸中の幸いとしか言いようがありません。
その日はわたしの誕生日でした。いつもブログに出てくるA(今はWとの間に4歳の女の子がいるのですが) に誘われて、復活祭の連休中に2家族でコーンウォールという海辺の町で過ごすことになっていました。Aはわざわざわたしの誕生日のために、なんだか色々と準備していたらしく、朝早くから車で6時間ほど先のホリデーハウスに到着していました。わたし達はゆっくりして昼頃に出ました。
その日、わたしはなぜだか娘のシートベルトをキツく締めなければと思って、ぎゅっと締めました。娘は普段はシートベルトの肩のところだけ外して体を乗り出したりするのですが、今回は車に乗った途端に寝てしまいました。
それで、ちょっとキツく締めすぎたかなあなどと思っていると、旦那が「ハンドルが言うことをきかない!」と叫ぶではないですか!
あっという間に車は二車線を横切って山の斜面に衝突。その勢いで車は2回転。車は横に倒れたままやっと止まりました。
わたしは2回転している間、娘の名前を叫び、車が止まった途端、すぐにシートベルトを外すと、旦那も同じことをしてました。後ろのチャイルドシートに座った娘は見えなくて、代わりにリュックやらカバンやらがチャイルドシートに乗っかってました。
わたしはすぐさま荷物をよけると、びっくりした娘の顔。。。。
よかった。。。。娘を抱いたまま足の力が抜けて座り込むわたし。
すぐに人々がやってきて、割れた窓から娘を救出。わたしはガソリンの匂いと「シュー」というガスか何かが吹き出た音で、とっさに車が爆発するのではと思いました。
娘が救出されたので、もういいか、となんだか少し諦めたのを覚えています。
すぐに外にいる人達がわたしを救出してくれて、旦那はわたしを外に出してから自力で車から出ました。
この間、わたしは全てはっきり覚えているのですが、今でもあれは夢だったのではと思うぐらい、そのときのわたしの頭は混乱してました。
わたし達はあれよあれよと言う間に救急車で運ばれて病院に行き、3人とも無傷だったことに、事故現場を見た人達は大変驚きました。何が一番ラッキーだったって、ハイウェイで2車線通り越したのにどの車にもぶつからず、何も壊さず、誰も傷つけなかったこと。
救急隊員にすごくラッキーだから宝クジを買ったらいいとまで言われました。

その夜から丸1週間、旦那は毎晩悪夢にうなされて、叫び声で起きるという状態でした。もちろん、家族の命を背負って運転していた本人が、一番怖い思いをしたのだと思います。
彼曰く、車線変更しようとしたら、斜め横に車が見えて、慌ててハンドルを戻したらコントロールが効かなくなったそうで、担当の警察官もよくあることだと頷いていました。でも、こんな事がよくあるようなら、わたしは今後、恐ろしくて車には乗れません。

事故後の1週間は忙しく過ぎました。車の中に残してきたものを取りに行ったり、保険屋と話したり、書類をそろえたり。
一番大変だったのは、無くなった物の買い物でした。自家用車での旅行だったので、シャンプーやら化粧品やら、生活用品をそのまま車に積んでいて、その細かいもの全てがなくなってしまっていたのです。ついでにわたしの化粧ポーチも。日用品が入ったバックは車の中に残っているのに、中身はどっかに吹っ飛んで行ってしまったのです。だから、全て買い揃えるのに苦労しました。だって、マスカラとか細かいものまで全て買うと、すごい出費なんですよ。。。。
今思えば、事故が帰りじゃなくてよかったと思います。なぜなら、ちょうどボートの水がきれかかっていたので、わたし達、プラスチックのタンクのボトルを2つほど持って帰ってくる予定でした。水はいつも娘の足元に置いておくのですが、車が2回転しているときに、そのタンクが娘の上に乗っていたらと思うとゾッとします。

それでも、わたし、ブログは続けていました。夜の合間とか、時間はあったのと、書き留めておきたいことはまだまだあるからです。
それが、嫌なことって続くんですね。
本当に長くなりましたが、お知らせは次回に続きます。

年越しうどん

2007年、大晦日。わたしと旦那は初めての年越しをボート仲間達と迎えようとしていた。
ボートを買うと決めてから、本当に色々あり過ぎた。ギリギリの生活の中でもなんとかやってこれて、無事に次の年を迎えることができそうだ。
わたしはイギリスに来てから毎年31日は朝から大掃除をする。そして午後3時に間に合うように、ちらし寿司などのちょっとした日本食を作って、年越しのお祝いの準備をする。
なぜならイギリスの午後3時は日本の夜中12時、元旦だからだ。
日本にいる両親に新年の挨拶の電話をしてから、乾杯して料理を食べるのだ。
旦那も毎年わたしに付き合って、張り切って大掃除をしてくれる。
今年は豪華な日本食はムリなので、冷凍のオーブンに入れるだけのオリエンタルセットなるものをいくつか買った。エビのミニ天ぷらや春巻きなど、値段の割りにはご馳走らしくなった。
WとAも呼んで4人で乾杯をして、わたし達のボートで小さなパーティをした。
わたしは年越しのパーティーが始まる前に、WとAにちょっとしたお礼をしたかったのだ。
彼らがいなかったら、ボート仲間達とも仲良くならなかったかもしれないし、不安なことも多かっただろう。わたしにとってAの存在は特に心の支えになった。

わたしは毎年、年越しソバを準備するのだが、その日はスーパーで安いうどんを見つけて、それで間に合わせることにした。ボート仲間達は年越しソバ(うどん)などどうでもいいだろうから、とりあえず4人分だけ買った。
そのことをAに言うと、彼女は「素敵!」となんだか感動してくれて、彼女もぜひ食べたいと言った。
わたしは彼女に年越しソバの意味を簡単に長寿、次の年も健康で過ごせますようにと伝えていたのだ。
旦那もなぜか毎年年越しソバを楽しみにしているので、彼はボート仲間達にソバのことを話していた。
わたしが両親と過ごしていたとき、年越しソバはいつも年末恒例のテレビを見ながら食べて年を迎えていたので、その日も12時に間に合うように準備していると、ボート仲間達が次々にボートに顔を出して、ヌードルが食べたいと言ってきた。
Aと旦那の話は大きくなって、いつの間にか皆、幸運が来るだの金持ちになるヌードルを食べるということになっていた。
気がつくと仲間達は20人ほどに膨らんでいて、全員が食べることになってしまった。
4人分しか用意していなかったわたしは、しかたなく何本かのうどんをプラスチックの使い捨てのカップに入れて、つゆを少しずつ入れてやった。

もう少しで年が開ける。外には焚き火だの花火、ビール、発泡ワインなどが準備されて、準備万端だ。
わたし達は皆でうどんが入ったカップを手に乾杯した。
始めわたしがボート仲間達にうどんを手渡したときは、ほとんどが不思議そうな顔をして匂いを嗅いだりした。皆、焼きそばのようなスープがない麺を想像していたらしい。スープに浸かったうどんを食べるのは初めての人たちばかりだ。
それでも乾杯して、コップに入ったうどんを一気につゆごと口に流し込んだ。
一人、男が急にむせて、口からうどんを落としてしまった。わたしはそれを見て吹き出してしまい、わたしこそむせそうになった。
少ししてWがカウントダウンを始めた。皆でそれに続き、年が明けると、全員で「ハッピーニューイヤー!」と叫び、一人一人と抱き合って新年を祝った。
「幸運のヌードルを食べたから、今年はいい年になるぞ!」と男達はテンションが高かった。わたしにヌードルを作ってくれてありがとうと、両手をとってお礼を言いに来た人もいた。
そんなに幸運が足りない人達なのだろうか。それともただ単に単純なだけなのか。
とにかく、年越しうどんは好評だった。

皆が新しい年に浮かれているときに、うどんを落としてしまって食べそこなった男だけが、「オレはヌードルを落としたんだ。オレの一年はどうなるんだー。」と叫んでいた。
たぶんヌードルを食べようが食べまいが、誰の人生もそんなに変わらないと思うよ。。。と、わたしは仲間達を見渡して思った。

奇妙な出来事

ケンカの翌朝、旦那は仕事だったので、眠そうな顔で重い体を使命感だけで動かして、やっと出かけて行った。
わたしは運良く休日だったので、旦那を見送ってからまたベットに戻った。
睡眠だけが、その時のわたしにとって最高の贅沢だった。

ボートをノックする音で目が覚めた。だいぶ長いこと眠っていたと思う。
わたしがパジャマのままボートの戸を開けると、Wの彼女のAが立っていた。
わたしに何か入っている紙袋を渡して言った。
「さっき買い物に行ったんだけど、これ全部サイズ間違えて買ってしまったのよ。そんなに高くないし、また街まで歩いて行って返品するのもなんだから、もらってくれない?」
紙袋の中を覗くと、セットになったパンツと靴下数足、キャミソールが2枚入っていた。
えー!?これ全部、どうやったらザイズ間違えるの??
Aはわたしが何か言う前に続けた。
「美味しいワインを買ってあるから、後で皆でバーベキューするときに飲みましょう。楽しみー。」
と言って行ってしまった。
わたしはどうしたことだろうかと考える前に、また誰かがボートをノックしてきた。今度はWだった。
「今日は肉屋のダチがいい肉を大量に持って来るから、夕方からバーベキューだぞ。どこにも行くなよ。」と言って行ってしまった。
わたしはバーベキューね、ハイハイと思いながら、さっきAからもらった紙袋から靴下などを取り出して、何かおかしい、もしかして、と思っていると、また誰かがノックしてきた。今度はボート仲間のANというおじさんだ。
「今日、市場で卵が安くて、思わず24個入りの箱ごと買ったんだ。オレは一週間分あればいいから、あとはお前がもらってくれ。」
は?卵?なぜ調子に乗ってそんなに買った?
その後続けてSがやって来た。
「さっきANと市場に行って、ソーセージとか肉類を買いすぎてしまった。もらってくれるか?味付きで真空パックだから、長持ちするはずだ。」
長持ちするんだったら、自分でキープしておけばいいのに、なぜわたしにくれる?絶対に何かおかしい。
その後もう一人やって来た。市場で野菜を買いすぎたからと言って、3種類ほどの野菜を置いていった。
最後にもう一人来て、今度は袋いっぱいのジャガイモを置いていった。

わたしはパジャマと寝ぐせのまま皆に対応して、まだ夢の途中なのかと考えながら、突然の貢物の前で首をひねっていた。
おかしい。絶対におかしい。
普段は回転の遅いわたしだが、すぐに分かった。
彼らは聞いていたのだ。わたし達の昨晩のケンカを。
ボートの中なので安心していたが、たった一枚の鉄板の壁だ。薄いに決まってる。外の音がダイレクトに聞こえるのなら、中の声もそのまま聞こえるのだ。
すごく、すごーく恥ずかしい。

わたしはテーブルに並べられた品物を見渡して、誰にもお礼すら言えなかったなあと思った。
窓から外を見ると、テムズ川がいつものように流れている。世の中が進化して便利なものがたくさん増えて、人々も変わって行くのに、テムズ川だけは何年も何十年も同じままなのだろう。
仲間を思いあって助け合うことも、時代が変わっても何十年も何百年も変わらずにこの世にあるんだなあと思ったら、涙がいっぱい出てきた。
生活がキツくて辛いときは涙なんてこんなに出なかったくせに。
わたしは久々に声を出して大泣きした。
プロフィール

スカイ

Author:スカイ
イギリスで旦那と娘3人でボート暮らしをしていた生い立ちを綴っています。
家賃も地方税も無い自由な生活を選んだはずが、なかなか大変なボート暮らし。大好きなお風呂にゆっくりと浸かることができる生活を毎日のように夢見て、早くボート生活から抜け出したいと思いながら結局7年間を費やしてしまいました。
めちゃくちゃなボート仲間達との暮らしも今はいい思い出です。

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