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最後に。。。。

イギリスは7月です。今年は去年よりも雨が多いような気がしますが、あちこちでペイントしたみたいに色鮮やかな花が咲き乱れ、緑が雨に濡れたり太陽に照らされたりしてキラキラと輝いています。木々の緑も良く見るとどの葉も違う緑色で、葉でさえ個性があるんだと思わされます。
不思議なことに家暮らしを始めてからボートで暮らしていたときは見えなかった小さなものが見えてくるようになりました。花の色とか季節の風の変化とか、ボート暮らしのときは毎日のように自然と一緒になって過ごしていたはずなのに、花一つ一つに命があることすらどうでもよかったのです。
家に住んでからあっという間に1年半が過ぎました。今でもお風呂に浸かるとき、洗濯機が回っているとき、トイレを流すとき、色んな場面でありがたいと思うことが多いです。
旦那も娘も同じような感じです。なので飛び抜けて便利なものもないし庭もなく小さなアパートだけど、毎日を大事に楽しく生きています。
旦那は天気がいい日は決まってボートが恋しいようなことを言います。いつか小さなボートでも所有できる日がくるといいね、とわたしは答えます。そして、ボート暮らしだけは二度とごめんだけど、と心の中で思います。
娘はボート暮らしをまだよく覚えていて、「洗面器みたいなお風呂にはいったねー」とか「ダディのお友達いっつも酔っ払ってたねえ」とか言う割には、家族でクルーズしたことなどは覚えていないようです。
早いものでこの間まで赤ちゃんだと思っていた娘は今年の9月で(イギリスの新学期は9月です)1年生になります。この国には1年生になる前にレセプションと呼ばれる小学生準備期間のようなものが1年あります。娘は今レセプションです。
レセプションさえ決まってしまえば日本のように後は6年生までエスカレーター式ですが、ここまで来るのにロンドンはなかなか大変なところが多いです。優秀と国の機関に評価された学校に子供を入れるために、親たちが高い家賃や物件に大金を叩いて学区内に引っ越して来て、こぞって入学の申し込みをします。学校によっては入学待ちリストが100人以上というところも少なくありません。
たまたまわたし達が住んでいる地区にも優秀校がいくつかあって、親達はそこに入れるために苦戦し、泣いたり悔やんだりします。そんな優秀学校激戦区で何を思ったか、わたしと旦那は優秀校からの採用を2校も断り、その年に開校される新学校に娘を入学させました。娘達は一期生でクラスにはたった16人の生徒しかいません。まだ1クラスで新校舎もできていないので彼女達の学校はプレハブ学校です。
娘以外の子供達は皆他の学校からオファーが来なかったので、席が空くまでの仮入学だったのに、今では親御さん達もこの生まれたばかりの学校に力を入れるようになりました。
ここまで来るのに毎日「まさか!」と思うぐらいにやることが多くて、小学校は親のすることが多いとは聞いていたけどここまでとは!の勢いです。
始まったばかりの学校。ゼロから全て始めるので、日本で教育を受けてきたわたしはシステムも分からず英語も早いし、なんだか振り回されっぱなし、これをブログにしたらいいんじゃ?と思ってしまうぐらいですが、ふう、どうにも追いつきそうにないみたいです。
という事で、わたし達家族の生活はボート生活のときと比べてすっかり変ってしまいましたが、これも悪くはないです。
と言うか、人並みな暮らしができて、毎日感謝、日々感激で、未だに「ああ、いい選択をしたな。」と思わずにはいられません。
なんと信じられないことに、ボートのローンの倍以上の家賃と住居税などを払っているのに、ボート暮らしのときよりも出費は少ないのです。そして、ボート生活ほどやることが多くないので、わたしは仕事の日数も増やすことができて、旦那も余裕ができたのか、ちょっと昇格しました。
と言っても、今イギリスは世界を巻き込んで経済が危うい方へ向かってますが。。。。
これからどうなるかですが、とりあえずわたし達は念願の貧乏ボート生活から晴れて脱出し、元気に楽しく暮らしています。
そして、このブログも今日が最後になりました。
このブログを書き始めたとき、わたしは全てを投げ捨ててしまいたいぐらいに生活も苦しく、精神的にも疲れていました。
ブログを書いて色々なことを思い出し、そして本当にたくさんの方々から励ましのコメントを頂いて、心から感謝しています。ボート生活はわたし達家族が頑張ったからではなく、ボート仲間や友人、それからブログを見てくれていた皆さんに支えられていたから乗り越えられたのです。
わたしはたぶんその辺のよくある言葉しか使いこなせないんですが、このブログを応援してくれた全ての皆さんにこの先ずっとたくさんの幸せがやってきて、ずっと平和に楽しく暮らすことができるようにと本当に心から願っています。

わたしがボート生活で学んだこと、たくさんあるのですが、一番わたしを変えたのは「他を羨ましく思わない」と言うことです。
ボート生活をしていて、初めこそ水やトイレが自由に使える、お金がある、そんな生活ができる人たちが羨ましかったのですが、ボート生活はわたしと旦那が決めたこと。そして、そこでしかできないたくさんの素晴らしい体験ができて、仲間ができて、無いもの以上に得るものも大きいんだと実感しました。
そして、素直に友人や他人の幸せを喜べるようになったら、いつか、時間がかかっても自分や家族が思いがけないことで助けられたり、幸せを分けてもらったりするんだと思っています。
わたしは自分で学んで感じたことを娘に上手く伝えることも、教えることもできません。
同じ状況にいても人はみんな感じ方が違うので、何を学んでどう生きようと思うかは、娘が築いていくものだと思っているからです。
だからこのブログは、いつか娘がこんなことがあったんだと、楽しんで読んでくれるだけでもいいなと思っています。そして少しだけでもわたしの想いが伝わったらいいなと思っています。
ちなみに旦那がボート生活で学んだことは、エンジンの組み立て方や電気のシステムなど技術的なこと、それから人はいつでも自由になれるということだそうで。。。

今でも時々考えます。
小さな娘が小さな体で、何を思って大人たちを見ていて、どんな風にテムズ川を眺めていたのかと。彼女の小さな目にはどんな風にわたしと旦那が映っていたのかと。
今まだ5歳の娘の記憶と表現力はあやふやで、彼女のボート生活4年間はどう彼女に影響したか、何を思っていたかを探るのは不可能だけど、彼女の笑顔だけは絶やさなかった自信はあります。
そしてこれからも彼女がずっと笑って生きていけるように、家族3人が楽しく暮らして行けるようにと願いながらやっていきます。


イギリス貧乏ボート生活、ご愛読本当にありがとうございました。

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2016年 ボート仲間達の今

2016年6月

わたし達は小さなアパートだけど、家族3人で平和に仲良く暮らしています。
あれからボート仲間達にはドキュメンタリードラマが軽く2、3本できてしまうのではないかと思うぐらい色々なことがあり、それでも多くが変わらずボート暮らしをしています。
Wは釣り用のボートだけを所有してAの家に住んでいましたが、Aの住まいは母子家庭や生活保護者のためのアパートだったので、数ヶ月前にお役所にみつかって追い出されてしまいました。それを機にWはボートではなく、大きな船を操縦する仕事を見つけて船に寝泊まりしながら毎日のように航海に出ています。大好きな海や釣り、船に関わる仕事ができて夢のような毎日だそうです。時々は客人と称してAの家に滞在して、旦那とも飲みに行ったり電話などでやり取りしています。
Aは役所にバレようが苦境に立たされようが、まったくめげることなく強く生きています数ヶ月に一度ぐらいの周期で娘達を遊ばせながら互いに近況報告をし合ったりしています。
親分のPは結局パートナーと別れ、手切れ金として持ち家を彼女にあげたそうです。そしてボート仲間の仲間割れの原因となった20歳年下の若い子と晴れて一緒になることができて、ちょっとした田舎に停滞場所を借りて今は二人で一緒にボートに住んでいます。恰幅のいいPが彼女と一緒になってから、どうやって?とコツを聞きたくなるぐらいに痩せて、服のセンスも若々しく変わってしまいましたが、Pはやっぱり今でも親分肌で慕われています。
強烈な双子はPと女の取り合いで仲が悪くなったかと思いきや、調子のいい二人。ボートをPのいる場所に移動して相変わらずPの恩恵を受けながら、仕事をしたりクビになったり、暴れたり騒いだりしながら日々を送っています。彼らはわたし達が引っ越した当初はお腹が空いたとよくうちまで徒歩40分ほどかけて来ていたのですが、今は田舎に移動したので、時々旦那に電話してきたり、旦那が遊びに行ったりしています。
他の仲間達も一緒に田舎に移動してしまい、小さなコミュニティーを作って時々移動したり居座って罰金を払わされたりしているようです。
一人だけ旦那を崇拝している若者がいて、彼に関しては遠いのにもかかわらずよくうちに来ます。家族で出かけると言っているのに、なぜか一緒に付いてきたりして、時々微妙に邪魔なのですが。。。。
あと、数人のボート仲間達はそれぞれカナルに出たり、その辺を毎日移動しながら暮らしていたり、実家に引っ込んでしまったりと、バラバラですが、旦那とソーシャルネットワークで繋がっていて、みんな元気に生きているようです。
コミュニティーがあった場所には今でも数隻のボートが残っていて、裁判にかけられたり住民に叩かれたりと、時々ニュースや新聞に出現したりします。
この間久々に猫事件の時に猫を見つけてくれた仲間に会いました。彼女はボーイフレンドとまだコミュニティーの場所にいて、エンジンがないボートで動けないのに裁判で負けて途方に暮れている様子でした。若々しくて可愛かった彼女が、1年後には10歳分くらい老けていてびっくりしてしまいましたが、猫を見つけてくれたときと全くかわらず、優しくて穏やかなところは変わっていませんでした。
そうそう、猫と言えば、あの猫はボート仲間の一人が今でもちゃんと面倒見ています。狩りが大好きな猫で、鳥やネズミの死骸を持って来るので困ってしまうそうですが。

そして最後に、とてもお世話になってボート生活には欠かせなかったエンジニアのANが先週癌で亡くなりました。末期癌だと告知されてから約半年の闘病期間、彼は最後まで彼らしく振舞いました。AやWを筆頭にわたし達がどんなに救いの手を差し伸べても、彼は一人で大丈夫だと言い張り、ギリギリまでボートに住み、毎日タバコをくわえながら大好きなビールを飲んで弱いところなど一切見せませんでした。
突然容態が悪化して病院に入院してから亡くなるまでの2週間は、彼の娘夫婦やボート仲間が絶え間なく彼を見舞って、最後の日、ボート仲間達がたくさん集まりました。わたしも仕事が終わってから走って病院まで行き、航海に出ていたWもそこにいました。
その時のANはもうほとんど夢の中にいるような状態でしたが、みんなが一人一人彼の手を握っているとき、Wのだけはしっかりと握り返しました。
長い長いボート生活で、一番多くを知っているWにANは何か伝えたかったのだと思います。
そして、自分の家族よりも誰よりもWを待っていたのだと思います。
皆が集まってから30分後にANは帰らぬ人となりました。
お葬式は来週の月曜日に行われます。

いいも悪いも生きていると色んなことが起きて、変わりたくなくても変わらなければいけなかったり、変わりたくても変われなかったり。がんばっても報われなかったり、せっかく手に入れても無くしたり。泣いたり笑ったり。
それで、じゃあわたし達って結局何のために生きてるの?とか問いかけてしまいたくなるような心境でわたしは今ボート仲間達を思い出しています。
わたしがこのブログに残したことで、小さな彼らの存在が少しでも大きくなるといいなと思っています。そして、わたしにたくさんの影響力と自信を与えてくれた仲間達に、こんな小さな場所でしかも日本語だけど、感謝の気持ちがいつか伝わるといいなと願っています。

いっぱい色んなことを書いて、楽しかったけど、思い出すのも辛かったわたしのブログも次が最後になりそうです。
最後までどうかよろしくお願いします。

旦那が「ダイアモンド」と過ごす最後の旅

ロンドンの南西部から北方面にボートで行くには二通りの方法がある。一つはわたし達がロンドン中心部に出るときに使ったカナル(運河)ルートともう一つはテムズ川を渡って行くルートだ。
カナルルートは安全だが20以上の水門を抜けなければいけないので時間がかかるし、ほとんどが手動なので体力もいる。
テムズ川ルートは早いが、川の流れが速くて大きいのでカナルボートには少しワイルドすぎて危険だ。
でも旦那はその危険な方を選んだ。
まず、週末の2日間しか時間がないのと、今まで通ったことのないルートを最後に通りたいと思ったからだ。
ボート仲間の一人がカナルにボートを移そうと考えていたので、彼も一緒に行くことになった。
ボートが大きく揺れても二つのカナルボートを隣同士にしてくっつけていればその分揺れの大きさも抑えられる。
何かあったとき誰かがいれば心強い。
旦那は大張り切りだ。
どれどれ、わたしは同行しないけどテムズ川ルートとはどんなもんだろうと、ルートマップを開いて見てみる。
うわっ!ロンドン橋の下を通るの?ビックベンとかロンドンアイがあるあの辺!?
大変だー!あの辺のテムズ川はデカイ!大きな豪華客船ですら小さく見えるほどだ。そこにあの小さなナローボートが浮いていたらもうただの小舟に過ぎない、大きな船が横を通ったら大揺れどころではないではないか!いくらボートを2つくっつけても、全然しょぼい!
旦那よ、本当に大丈夫なのか。。。?
「ナローボートは毎日のようにあそこを通ってるんだ。今までボートがひっくり返ったなんて聞いたことないよ。」
って旦那、のんきだよ。。。。

出発まで1週間あったが準備することは意外に多かった。まずは大きな水門を通るために満潮や干潮に合わせて門を開けてもらう予約を取って、ロンドン中心部を通るのにも管理機関に連絡をしなければいけない。
ロンドン橋の下など広くて波が立つようなところでは小さいボートは危険にさらされやすいので、すぐに陸や管理機関と連絡が取れるように専用のトランシーバーとラジオを購入しなければいけないし、ライフガードは必須だった。
ここまで色々と準備をしだすとさすがの旦那も出発当日の朝は緊張していたようだった。
まあ、とりあえずロンドン中心部が近くなるまでは問題ないだろうと思っていたら、いきなり2つ目の水門で問題が起きた。旦那が操縦する「ダイアモンド」だけが通行止めをくらったのだ。ブラックリストのボートをその地区に入れたくないと言うのが理由らしい。
旦那はこの辺りには居座らないし、ボートはロンドンの北の新しい持ち主のところに移動するので、ここに戻って来ることはないと言っても、管理機関の職員は聞く耳なし。
結局事実を証明するのにそこで無駄に30分以上を過ごしたのだそうだ。
管理機関も相当しつこい。ブラックリストのボートの住民をどんな人たちだと勘違いしているのやら。。。
なんとか面倒なことも済んで、旦那とボート仲間の2隻のボートは旅の続きを始めた。
きっと旦那は「ダイアモンド」に出会った頃から今までのことを思い出したり、懐かしんだりしながら旅を楽しんでいたに違いない。

その頃わたしは、やっていることをが手につかないぐらい旦那の旅路が心配で仕方がなかった。
ボートが万が一ひっくり返ったりでもしたらボート代を購入者に返して、こっちは大きな損害だ。保険会社の連絡先を旦那にわたしておくんだった。とか、またいつものように後悔やありもしないようなことを無駄に心配していた。と言っても、今思えば旦那の身の心配より、ボートの心配ばかりしていたような気がする。。。。
そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、旦那からは電話もメッセージも送られて来ない。こちらから電話をしようかどうかと迷ったが、手が離せないときだと困るだろうと思い、「調子はどう?」とだけメッセージを送った。
夜の7時ぐらいにやっと電話がかかってきた。
旦那、すごくハイテンションだ。。。
テムズ川が大きくて海を渡っている気分だったとか、ビックベンが目の前に立ちはだかり、タワーブリッジやロンドン橋の大きさを体で感じたのだと言う。
その日はロンドンの中心地を抜けた辺りにいたが、カナルは夜8時以降はエンジンを消さなければいけないのと、疲れていたのでそこで一晩過ごしてから翌日目的地に向かうと旦那は言った。
わたしはやっと安心して夜はゆっくりと過ごせると思っていたが、その夜の11時過ぎ頃旦那から電話がかかってきた。
「このボートに寝泊まりするのも今日が最後だと思うと。。。。」
あれ、あれ?旦那、泣いてるのー?
「色んなことをいっぱい思い出して、このまま寝たらいつの間にか朝が来てしまうし、寝たくない。。。。」
子供か、あんたは。。。。
旦那は滅多なことでは泣かない。いつも明るくて強気の旦那が泣いてるよ。。。。
わたしはいつまでもウジウジとしつこい酔っ払いみたいに(と言うか、酔っ払ってるのか。。。)同じようなことを繰り返す旦那に付き合った。
そうだね、本当だね。初めて「ダイアモンド」に一目惚れした時から、わたし達の生活は全て彼女と共にあったのだ。旦那はその大好きな彼女を今までずっと精一杯心を込めて面倒みてきたのだ。誰よりも彼女に思い入れが強かったのは旦那だ。
彼女を誇りに思い、時には信頼して、また時には心配して。どんなにエンジンが動かなくなっても、言うことを聞かなくても、また一から、またやり直しと、ずっと彼女に付き合ってきたんだもんね。
わたしは胸が痛かった。
わたし達がお金持ちだったら「ダイアモンド」も旦那のそばに置くことができるのにね。
生活のために家族のために、諦めなきゃいけないことってあるんだよね。旦那は大好きな「ダイアモンド」をわたしと娘、それから3人のこれからのために手放すのだ。
これからは、いっぱい遊びに行ったり友達に会いに行ったり、今まで以上に好きにしていいから。「ダイアモンド」のことが懐かしくなってまた泣きたくならないように、家族3人でいっぱい楽しい毎日を送ろう。あの時彼女を手放して結果良かったよねって思えるように、またこれからも色んな思い出をいっぱい作って行こうね。

翌日、旦那はスッキリした様子で帰ってきた。リュックサックにはお礼にもらった予定よりも多めのお金と娘にとぬいぐるみのプレゼントまで入っていた。お昼はステーキと美味しいビールまでご馳走になってきたと、昨日のあんたはどこ?と言いたくなるぐらいご機嫌で帰ってきた。
旦那、単純すぎるよ。。。

こうして旦那が「ダイアモンド」と過ごす最後の旅が終わった。
まるでこの間の出来事のようなのに、信じられないことにあれからもう少しで一年が過ぎようとしている。

最後のクルーズ

天気の良い初夏の週末、わたし達は家族揃って最後のクルーズに出ることになった。
ボート購入者のご夫婦も旦那にボートの操縦をおしえてもらうことになっていて、一緒にクルーズに参加した。二人ともとても愛想が良くて親しみやすい人達だった。わたしはボートに住むと聞いてヒッピーみたいな人を想像していたが、二人ともジーンズにトレーナーでいたって普通の感じで、のんびりと人生を楽しんでますというのがにじみ出てるようにリラックスした印象を与えるようなカップルだった。
奥さんは娘を可愛がってくれて、実は恥ずかしがり屋の娘もいつの間にかわたしの横に隠れるのをやめて彼女と話をするようになっていた。旦那と彼女のご主人がエンジンや発電機など外のことを見ている間、わたしは彼女にボートの中のボイラーの使い方やバスルームやトイレ、薪ストーブなどの使い方を説明した。
こうやって一つずつ説明すると、やっぱりボート生活はやることが多いなあ、と改めて思った。家の方が断然楽だよと言いたかったが、これからのボート生活に胸を弾ませている彼女にはそんなことを言っても無意味そうだったのでやめた。
ご主人の方は、薪割りや石炭、灯油の調達などから、トイレの汲み取り方、水の補充の仕方、発電機の使い方や電気のしくみ、エンジンの簡単なシステムからボートの操縦まで覚えることが多すぎて少し緊張しているようだった。
なんだかんだと出発まで時間がかかってしまったが、ボート購入者の二人は交代でボートを操縦した。旦那がつきっきりで教えているが、やはり大きなボートが横を通ったりカヌーの集団が通り過ぎる時は怖がって旦那に舵を託していた。
分かる、分かる、あたしも肝心な時にうまく舵が取れないし、旦那がトイレに行きたいから少し代わってくれなんて言った日には、どうか余計なボートなんかとすれ違わないように!と祈りながら操縦したものだ。
カナルボートはゆっくりと動く。よっぽどのことがない限り他とぶつかったりしない。それでもわたしは反対岸に正面から突っ込んでしまったりするから、わたしに関してはボート操縦のセンスが完全にないのだと思う。

しばらくして皆ボートの感覚になれてきた頃、ご夫婦は初めてテムズ川に面した景色を落ち着いて見ることができるようになったようで、とても感動しているようだった。
旦那も自分の庭でもないのに、この美しく広がる景色が自慢のようで誇らしげにしていた。
わたしは皆が景色を堪能しているあいだボートの中に入った。
変なの、本当に何もない。
誰か他人のボートにおじゃましに来たみたいにラウンジの端っこに腰を下ろす。
「ダイアモンド」は初めて出会ったときから、わたし達が暮らしていた時、辛かったとき楽しかったとき、嵐で大揺れしているときも大雨に打たれていても、ずっと変わらない。そして他人のものになってしまった今も、最後のクルーズのこのひと時も、表情を変えずに静かにわたし達を乗せている。
テムズ川の流れにずっと身を任せながらあるがままを受けとめて今まで来たのだ。その無表情さがときには寂しく思えたり、ときには安心感さえ覚えたりした。わたしは本当は知らないうちに助けられたり学んだりしていたのかもしれない。
本当は直前まで「ダイアモンド」に乗ったら色んなことを思い出して切なくなったり名残惜しくなったりするんだろうなあと思っていたが、わたしの気持ちも「ダイアモンド」と同じだった。流れるように身を任せて、別れるときはそれを受け入れるだけなのだ。
「お家に帰りたい。」
娘にとってはボートも景色も生活の一部だったので飽きたらしく、しばらくしてからわたしと娘だけバスで帰ることにした。
「お家に帰りたい」かあ、娘の家はもうここではないのだ。

わたし達は途中で降ろしてもらい、娘と二人でボートにお別れをした。
「今まで本当にありがとう。またいつかどこかで会おうね。」
わたしと娘が岸から離れて行く「ダイアモンド」を見ているあいだ、購入者のご夫婦は旦那がボートを操縦する横でいつまでも、わたし達が見えなくなるまで手を振っていた。
「良かったね、すごくいい人達に買われて。」
わたしが娘に言うと、娘は「ダディーのボート、いつまで貸してあげるの?」といった。
って言うか、へ?娘、分かってないじゃん、全然。
「ボートはあの人達に売っちゃったから、もう彼らの物になっちゃったんだよ。だから、あのボートに乗るのはこれで最後、さよならだよ。」
「じゃあ、ダディーはどうするの?」
娘はポカンとしながら言った。そして「ダディー、ボートがなくなったら泣いちゃうね。」と続けて、「ダディーがかわいそう。」と言った。
なんか実は娘の方が旦那の気持ちを分かっているようだ。
わたしは心のどこかで面倒なことがなくなって実はホッとしていた。

「ダイアモンド」との最後のクルーズを旦那はどんな風に感じているんだろうか、落ち込みながら帰って来るんだろうか、それとも開き直って戻って来るんだろうか、などと考えていたら、なんと旦那は大喜びで帰ってきた。
なんでも購入者夫婦はやはりボートの操縦が不安なので、日当を払うので次の週末にロンドンの北までボートを動かして欲しいとのことだった。
旦那はまたボートを操縦して、しかもお金までもらえるのだ。
そんなことでその日は旦那最後のクルーズの日ではなくなった。
子供みたいに浮かれて嬉しそうな旦那を見て、娘の言葉がわたしの胸に突き刺さった。
「ダディーかわいそう。」
わたしもなんだかこっそりつぶやいてしまった。
「旦那、なんだかかわいそう。。。」

まさかのまさか!?


春休みを利用して久しぶりに日本に行って来ました。
のんびりしてきましたが、ブログの更新が伸ばし伸ばしになってしまいました。
気がつくと日々ってあっという間ですよねー。
また再開しますのでよろしくお願いします。



家に住むようになってから半年が過ぎようとしていた。
2015年、季節は春。
旦那は毎日のようにボートを移動しながら、ペンキを塗ったり修理に追われたりと、ボートを売りに出せる状態にするために働き続けた。
春になって日が長くなると、数日間帰って来ないこともあったが、ある日突然、作業が終わったのでボートを見においでという電話が来た。
わたしは、旦那はボート作業をしていると言いながらボート仲間たちと遊んでいるのだろうと思っていて、夏が終わるまで遊び続けるだろうと予測していたのに、作業が済んですぐに売りに出すと言ったので、まさかと自分の耳を疑った。そしてボートに行ってみると、中はわたし達が住んでいたことがまるで嘘だったかのように空っぽになっていて、業者に頼んで清掃してもらったのではないかと疑うぐらいキレイになっていた。わたしは心底驚き、旦那もやるじゃん、と久々に彼を見直した。
ボートはすっかり生まれ変わって、わたしは嬉しいながらもなんだかわたし達のボートが他人のボートに感じられ、あの7年間は一体なんだったんだろうかと心のどこかに埋めきれない寂しさがあった。
多分旦那も同じ想いだったのかもしれない。だから旦那は一刻も早くボートを手放したかったのだろう。

旦那はボートが売れるまでどれぐらいかかるか分からないが、とりあえず仲介業者を使わず無料で売り出しの広告を出すことにして、初めにボートコミュニティのソーシャルネットワークに買った時とほぼ同じぐらいの値段で売り出し中と掲載した。
まあ、売れなかったら徐々に値段を下げてみてもいいし、とにかくこれで反応を見てみようと思うか思わないか、なんと、信じられないことに掲載したその朝に問い合わせの電話が鳴り続けた。旦那は対応に追われるも追われないも、最初にボートを見に来てくれた人が、問い合わせの電話に何度も出ている旦那を見て焦ったのかなんなのか、すぐに買うと言い、そんなにボートが欲しかったのか、その夜にボートの全額を旦那の口座に振り込んでくれた。まるで夢のような話である。
わたしも旦那もボートが売れたと決まったときはその現実を疑ったが、口座に振り込まれた金額を見て、まさかまさかと驚いた。嬉しいような寂しいような複雑な気持ちだった。

ボートを購入してくれた人は30代後半ぐらいのご夫婦で、どこかの建設業者の経営者だった。アイルランドの地元に持ち家はあるのだが、ロンドンに滞在して仕事をすることも多いので、ロンドン生活はボート暮らしにすることにしたそうだ。
正直者の旦那は何を思ったか彼に、「このボートはお役所や組合のブラックリストになっていて、下手したら停滞場所が見つからないかもしれないし、水門すら通過させてもらえないかもしれないからディスカウントしようか?」と言った。
って言うか、それ言っちゃったらディスカウントどころか、買わないって言われちゃうんじゃ、とわたしの心配をよそに、購入者さんは「大丈夫だ。場所はロンドンの北にもう借りてあるし、北の方に行ってしまったら、そんなブラックリストも関係ないだろう。」と、なんだか別にディスカウントしなくていいよー、ってなことを言った。
おまけに、彼は今いるロンドンのマンションは引き払うので、ボートに入りきれない家具をあげるとまで言ってくれた。
旦那も人がいいが、この購入者さんもそうとう人がいい。
と言うことで、翌週にはさっそくリクライニングソファーやらベットやダイニングテーブルなんかがうちに運ばれてきた。
嘘みたいな本当の話だ。
わたし達のアパート暮らしはボートでの貧乏生活を引きずっていたので、半年たってもまだ家具がそろっていなかった。拾ってきたようなものとか、箱とかを代用して暮らしていたので、いきなりちゃんとした家具がやってきて、ボロアパートが社長室みたいに変身した。
そして、購入者さんは旦那が飛び跳ねたくなるようなことまで言ってくれた。
「今まで実は半年以上かけて毎日のように色んなボートを見てきたんだ。でもなかなかいいのがみつからなくて困っていたんだ。でもこのボートを見たときに、これだって直感したんだ。この値段でこんなに手入れがゆきとどいていて使いやすいボートは初めてみたよ。」
それは、今までボートを一生懸命可愛がってきた旦那にとっては感動的に嬉しい言葉だった。そして次にボートを引き継いでくれる人が旦那も初めてこのボート、「ダイアモンド」を見たときに「これだ!」と直感した思いと同じ思いとをしてくれたことに旦那は更に感動した。

こうしてわたし達のボートは無事に売却された。
翌週末、わたし達は最後の航海にでることになった。

次回に続きます。
プロフィール

スカイ

Author:スカイ
イギリスで旦那と娘3人でボート暮らしをしていた生い立ちを綴っています。
家賃も地方税も無い自由な生活を選んだはずが、なかなか大変なボート暮らし。大好きなお風呂にゆっくりと浸かることができる生活を毎日のように夢見て、早くボート生活から抜け出したいと思いながら結局7年間を費やしてしまいました。
めちゃくちゃなボート仲間達との暮らしも今はいい思い出です。

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